ADHDの涙

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ADHD(注意欠如・多動症)やASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)といった症状のある者が、身近にいたり仕事柄接する機会が多かったりすると、会話をするだけで「この人もそうだな」と気づくことがある。

だが本人はその症状に気付いておらず、また、職場では同僚らがその"異物感"に拒否反応を示すため、不協和音が生じるのは当然のこと。仮にわたしが同僚の立場だったとしても、他の労働者と同じようなテンポで作業ができない者がいて、当人にADHDやASD、LDの症状がみられるとしても、「だったらしょうがない」と簡単に済ませることはできないだろう。

 

要するに、理解はできても納得はいかないのが一般的な感覚であり、同じ仕事を同じ時給でこなしている同僚にとっては「なんで、自分たちが尻拭いをしてあげてるのに、給料は同じなの?」と、不満につながるのは目に見えている。

それでも、なんとか職場に馴染もうと不器用にも努力する姿を見ていると、鼻の奥がツンとするのであった——。

 

 

「あぁ、今日もまたダメだったなぁって、家に帰ると落ち込んでいます」

とある企業で面談をした時のこと、肩を落としながらそう話す労働者がいた。どうやら、仕事の処理速度が遅いため周りから疎まれている様子。

 

実情を知るべく会話を続けていたところ、話す分にはごく普通の成人であるが、わたしからの質問に対する答えを紡ぐうちに、「このヒトも症状があるな・・」とすぐに勘づいた。

接客サービス業の場合、顧客へのサービスが仕事となるが、それとは別に同僚との連携やコミュニケーションも重要。通常ならば「アイコンタクト」とか「阿吽(あうん)の呼吸」と呼ばれるように、なんとなく察することができたり、"口を動かしながら手も動かす"というようにマルチタスクで作業をこなしたりするわけだが、ADHDやASDの症状があるとそれらは難しい——いや、難しいどころか不可能なのだ。

 

仕事が遅い、一つのことしかできない、いつまで経っても覚えない・・これは、典型的な発達障害の症状であり、本人の怠慢や努力不足ではない。

とはいえ、収入を得る目的で働いていることを前提とすると、これらの傾向がある者へ他の労働者と同等の報酬を支払うのは、使用者としても苦しいものがある。また、同じ仕事に就く労働者としても、寛大な心で受け入れられるほど余裕のある者は少ないだろう。

そんな"不運なすれ違い"が続いた結果、周囲は疲弊し当人は孤立するという、最悪な状況が完成するのである。

 

「同僚との会話に自分が入ると、そこで話が終わってしまうんです。年がはなれているからなのか、会話が合わないんです」

——残念ながら、それは年齢のせいではない。仕事ができないことへの不満や苛立ちが、コミュニケーションを阻害しているからだ。ところが、当人はそのことに気付いておらず、ただ単に会話が合わない・・と思い込んでいるわけで。

 

「自分は一つのことしかできないんです。だから、一度に三つのことをやれと言われても無理なんです。おまけに、のろまだから一つのことすら遅いし・・」

そういって俯(うつむ)く労働者へ、過去の職業について尋ねてみた。すると、前職は清掃業に就いていとのこと——なるほど、他者とのコミュニケーションが不要な作業ならば、ストレスなくこなせるのか。

しかも、趣味は「絵画や物づくり」といった手先の器用さを生かすタイプのもので、いずれも自分の世界に没頭できるジャンル。要するに、一つのことを自分一人でこなせる仕事ならば、こんな辛い思いをせずに毎日を過ごせるのだ。

 

そこでわたしは、

「あなたは、仕事ができないわけじゃない。ただ、向いてないだけで。苦手なことを努力で補えればいいけれど、今まで散々努力しても無理なのが現状でしょ?それはつまり、向いてないってこと」

と、厳しい現実を伝えた。さらに加えて、

「例えは悪いけど、目が見えない人に"文字を読め"というのが無理なように、出来ないことをどれだけやっても結果は変わらない。だったら、得意なことやできそうなことをやればいい」

と続けた。すると、「清掃業の頃は、思い返せば仕事もそれなりにこなせていた。同僚たちも優しかったし楽しかった」と言うではないか。——そう、そこなのだ。

 

一般的にみれば「簡単な仕事」「単純な作業」だとしても、ヒトによってはそれが難しい場合もある。それはその人次第であり、当人以外には判断できないものなのだ。

たとえばADHDであれば、単独で行える作業やルーティン化された業務、さらには自身の得意分野や集中力が発揮できる職業が向いている。それは清掃業のようなものから、研究者やプログラマー、法律などの専門職、はたまたデザイナーやライターといったクリエイティブなジャンルまで多岐にわたるが、少なくとも「単独で」という範囲が広いことが条件となる。

こういった観点からも、業界や職種に憧れて飛び込むのではなく、己に合った仕事を選ぶことこそが重要。その結果、辛い毎日があたたかなものへと変化するわけで。

 

「そんな風に考えたことなかったから・・これから、自分の得意な仕事を探してみます」

「約束ですよ。あなたの背中を押すことはできても、一歩を踏み出すのはあなた自身だから、その一歩が出なければ何も変わらないからね」

堪えていたであろう涙を拭いながら、自分自身に言い聞かせるように何度も頷く労働者の姿に、わたしも思わずもらい泣きしそうになった。

 

 

もしも会社側から、「もっと相応しい仕事があると思うよ」などと言われれば、それこそパワハラだの退職勧奨だの頓珍漢な騒ぎとなるご時世。

今回、わたしが外部の人間だったからこそ、労働者もぶっちゃけた話ができたり、こちらも適切なアドバイスができたりするわけで、ある程度の距離感が必要なのだと、改めて学ぶ機会となった。

 

それよりなにより、あの労働者の未来が明るいものとなることを、心から願いたい。あなたが笑って過ごせる日常が、必ず待ってるから——。

 

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