一人暮らしの不便なところといえば、死んだときに発見が遅れることか。とはいえ、それはさすがに人生の最期に一度起きるだけのことであり、仮に発見が遅れてもさほど大きな問題とはならない。
だが、その一歩手前の「体調不良」の際に、たとえば病院へ行きたくても体が動かない・・などの理由で受診ができないことが、もっとも不便で残念なことだろう。
それゆえに、一人暮らしというのは毎日がサバイバルであり、他人に甘えることを許されない過酷な環境における孤独な戦い・・なのである。
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(・・・クソッ、また熱が上がった)
解熱鎮痛剤の代表・カロナールを服用しているにもかかわらず、みるみる体温計の数字が上昇していくわたし。
——これじゃまるで、いい湯加減の風呂の温度じゃないか!
高熱というのは必然的に行動範囲を狭め、身体活動を停滞させる効果(?)がある。すべてを放棄してひたすら眠りたい衝動に駆られるが、それを許さないのが一人暮らしの辛い"運命(さだめ)"。
それでも自分の代わりはいないため、どんな状況であろうが一人暮らしは立ち上がらなければならない。とくに、自営業やフリーランスは地面を這ってでも作業を遂行しなければならず、自分自身の体調云々よりもさらに上の次元で、無言の強制力が発生することとなるのだ。
(・・歩くのが厳しくても指は動く。つまり、トイレに行けなくてもパソコンは操作できる)
たしかにその通りだった。試せばわかるが、寝たきりでも指だけは動かすことができる。これはむしろ、ちょっとした驚きである。
ベッドから起き上がることも、そして歩いてトイレや冷蔵庫へ向かうこともままならないくせに、指だけはいくらでも華麗に動くから恐ろしい・・これはもしかすると、指を脱力させる練習の成果か?
耳鳴りや悪寒はおさまらないが脳みそはそこそこ回転しており、そうなると、あとは指さえ動けば作業が捗るわけだ。
こういう時につくづく実感するが、パソコン一つでどうにかなる仕事で助かった。これがもし、接客サービスだったり現場作業員だったり、自分の体がどこかへ行かなければならない仕事ならば、こうはいかないわけで。
とにかく、寝っ転がっていようがなんだろうが、手元から何かを生み出せる仕事に感謝せざるを得ない。おまけに三連休だったことも幸いし、己に関わる社会活動が停滞していたことも幸いだった。
だが明日からは恐怖の月曜日が始まるわけで、今日までのようなスピード感では追いつかないだろう。
(あぁ、こういう時に代わりがいてくれたら・・)
いやいや、他人に頼ることなく独居生活を満喫するのがわたしのモットーである。そもそも両親はいるが一人っ子であり、幼い頃から一人で過ごすことに心地よさを感じるタイプのため、体調不良になったからといってその環境を悔いるのはお門違い。
近い将来、天涯孤独となるであろうわたしは、孤高の人生を歩まなければならない。そうなれば、高熱にうなされようが下痢や嘔吐に見舞われようが、どうにかして明日を迎えなければならないのである。
そもそも、体調不良というか身体反応は自分の体が敵と戦っている証。つまり、決して悪いことではないのだ。
たとえば発熱はウイルスを死滅させる目的だったり、排泄や嘔吐で毒性のあるものを体外に排出したりと、その瞬間は苦痛を感じる反応でも、元をただせば己の健康や命を守るための現象なわけで、そこから目をそらしてはならない。
身体症状には必ず、なんらかの意味と目的があるのだから。
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・・などと適当なことを綴りながらも、体は横になりたいと願っている。だがそれを許さないのも"独身一人っ子一人暮らし"のサガである。
どんな状況でも限界を知り、それを突破するのが生きるための術。とはいえ、とりあえず今は寝るとしよう——。
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