社労士という仕事をしていてつくづく感じるのは、「ヒト」という経営資源がいかに面倒な存在であるか、ということだ。この場合のヒトは、企業で雇う労働者を指すことが多いが、今回は経営者である「ヒト」についてである。
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「ちょっとお願いしたい案件があるんだけど」
友人の公認会計士から珍しく連絡があった。彼はよっぽどのことがない限りわたしに連絡をしてこないため、きっと、よっぽどのことなのだろう。
さっそく話を聞いてみたところ、彼の関与先で雇用している労働者を一人、すぐさま退職させたいという内容だった。
その労働者は、事業所閉鎖に伴う配置転換に応じず、近々売却される予定の旧事業所に居座り、従事すべき業務もないのに給与を全額受け取っているのだそう。
事業所の合併による組織再編はよくあることで、それにより今までとは異なる業務を強いられる労働者も多い。だが企業も苦しい状況に立たされているわけで、労働者なりに現状を把握し理解する必要がある。つまり、労働者側もその企業に属する以上は、ある程度の譲歩と妥協を覚悟しなければならないわけだ。
とはいえ、いきなり「明日から事業所がなくなるので、隣町の事業所へ移ってね」では、誰の了承も得られない。企業側は、ここまでの経緯と事情をしっかりと説明し、今後のビジョンも合わせて伝えることで労働者の合意を得るべきなのだ。
それでも理解が得られない場合、それは企業が目指す方向性とは異なるため、労働者は離職するしかないだろう。なぜなら、ヒトが年齢を重ねることで変化していくように、企業も時代によって変化していくものだからだ。
逆に、「私は、生活資金を稼ぐ手段として仕事を選んでいる」と割り切っている労働者は、職務内容が変わろうが問題はない。しかし、その仕事にやりがいを感じていたり好きな仕事であったりすると、それを奪われるということは、自分にとって大切な部分を失うこととなるわけで、カネのためだけに在籍し続けるのは困難となるだろう。
であれば企業としても、離職を余儀なくされた労働者の新たな職場探しを手伝うなど、できる限りのサポート姿勢を示すことで、労使関係の悪化防止に努めるべきだ。
・・ということを踏まえて、わたしの考える穏便な退職(この場合の「穏便」は、退職予定の労働者が冷遇されないという意味を含む)の筋書きに、企業が協力してくれるならば受任する、という返事をした。
すると翌日、友人から謝罪の連絡があったのだ。
「申し訳ない。社長は、なるべく自分の手を煩わせたくないと考えているので、全部任せたいというのが本音の様子。よって、ちょっと話が出ているコンサル会社の線で検討してみるとのこと」
これには大きなショックを受けた。わたしへの依頼を断られたことがショックだったのではなく、無資格のコンサルティング会社へ依頼することで、自分の手を煩わせることなく労働者を退職(解雇)させよう、という社長の考えにショックを受けたのだ。
裁判を含むトラブル覚悟で解雇通知を出すことは、手段としては「あり」だし、企業側が持つ権利でもある。だがその先に、納得しない労働者との対立が待っているわけで、間違いなくトラブルに突入するだろう。ましてや田舎町での出来事とあらば、その労働者が何をどう吹聴するかも分からず、企業としてメリットがないのは明白。
ましてや離職までのわずかな期間、一人の人間として労働者と向き合うことすら拒否する社長というのは、経営者としていかがなものだろうか。経営に関する四大要素の一つである「ヒト」というのは、労働者のみならず経営者をも指していることを、理解しているのだろうか。
個人的な感覚ではあるが、年配の経営者ほど労働者をコマの一つとしか捉えていない傾向にある。だが今のご時世、使用者>労働者という構図はもはや成立しないのだ。
これは時代の流れであり、労働人口の減少なども影響しているわけで、そこを無視して経営などありえないのである。いつまで経っても昭和の経営者感覚でいては、自身のみならず企業までもが凋落する日は遠くない。
さらに、こういった労使間のトラブルに真摯に向き合うことを避ける経営者ほど、胡散臭いコンサル会社に依頼したがるもの。おまけに法外な金額であるにもかかわらず「手を煩わせなくていいのなら、安いものだ」と言わんばかりに、ホイホイカネを出すのだからいたたまれない。
ちなみに、退職代行や解雇支援を謳っている会社は、弁護士や社労士ではない「非士業者」であることが多く、労働法に精通していない「素人の戯言」だということを知っておいてもらいたい。また、非弁行為にあたるケースも多々あり、違法性が高いといわざるを得ないのだ。
とにかく、労働者とのいざこざを「他人に丸投げしよう」という意識こそが、労使トラブルの元凶。最後くらい、組織のトップとして恥ずかしくない姿勢と覚悟を見せてもらいたいものだ。
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