1000日達成記念/リオデジャネイロ珍事

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本日、1,000日連続コラム投稿を達成した。次は10,000日を目指して、ぶらぶら行こうと思う。

 

オリンピック・トラブルメーカー

海外へ行くと、日本の常識が通用しないだけでなく、究極の選択を迫られることがある。とりわけ、トラブルメーカーの私はそれが特に多い気がする。

 

 

時はさかのぼり2016年8月。私はリオデジャネイロにいた。そう、オリンピックを観戦するためだ。

今回の大会には友人が出場しており、メダル獲得も含めかなりの期待を抱いていた。にもかかわらず雲行きが怪しくなったのは、会場で仲間と落ち合った時だった。

「ちょっと困ったことが起きたんだ」

座席のダブルブッキングだろうか?

「午後のチケットが、どうしても一枚入手できないんだ」

意味がわからない。午前と午後とで、チケットが分かれているとでも?

 

「このチケット、午前だけなんだ。そして俺たちが観戦したいのは午後の試合なんだよ。ちなみに、午前の部が終わったら完全撤退で、午後あらためて入場するらしい」

 

突然のアクシデントに見舞われ、選手関係者らが尽力した結果、午後のチケットを数枚確保できたとのこと。しかしどうしても、あと一枚だけ用意できなかったのだそう。

 

その場にいる誰もが困り果てている。地球の裏側からわざわざやって来たのに、肝心の試合を見られないのでは意味がない。

しかし現実問題として、チケットが一枚足りないのだ。これだけが変えようのない事実である。

そして、誰がその「一人」になるべきか、薄々気付いているであろう空気が漂う。

――そう、それは私だった。

 

なぜなら私には前科がある。ロンドンオリンピックでもチケットの手配間違い、いや、正確にはチケット詐欺に遭い、競技を観戦できない事態に陥った。

しかし、チケットボックス(手持ちのチケットを売る場所。ロンドンオリンピックでは、チケット購入はネット経由でしか行われなかった。)で、レスリングのグレコローマンのチケットを見せながら、涙ながらに交渉したのだ。

その結果、奇跡的にも観戦チケットを手に入れた過去がある。

 

この事実を知っている仲間たちは、言葉に出さずとも、私がその「一人」になるべきだと考えたのだ。

 

たしかに、客観的に考えれば私だろう。私が彼らの立場だとしたら、やはり同じことを考えるからだ。

だが今は、私自身に降りかかろうとしている現実的な悲劇であり、「はいそうですね!」と素直に受け入れる勇気はない。

とはいえ、オリンピック本番直前に通夜のような雰囲気では、せっかくのお祭りが台無しになる…。

 

「いいよ、アタシがどうにかする。必ず生き残るから、午後またここで会おう!」

 

待ってましたとばかりに、全員が顔を上げた。「それはさすがに申し訳ない!」「いや、自分が代わりになるよ!」などという発言は皆無。

その場にいた誰もが口々にお礼を述べると、晴れ晴れとした表情で座席へと向かったのである。

 

 

そして午前の部が終了し、南米の地で私のサバイバル力が試される時が来た。

 

トイレは神様

次々に来場者が去って行く中、私はさり気なく階段に腰を下ろしていた。手ぶらでラフな格好をしているので、あわよくば気付かれないのではないか、と踏んだのだ。

なんせここは、陽気で明るいラテンの国・ブラジル。小さなことは気にしないはずである。

 

「Excuse me?」

 

さっそくバレた。

そもそもオリンピックともなれば、大勢のボランティアが会場警備に駆り出される。そのため、ネズミ一匹逃さない勢いで会場内を練り歩くのだ。

 

やむをえず、私は「腹が痛くて休んでいた」「もう少し休ませてくれないか?」と交渉した。しかしボランティアの女性は、非常に済まなそうな顔で「No」と答えた。

まぁそうだろう。腹が痛ければ外でうずくまってくれ、というのは当然の意見である。そこで私は「最後にトイレだけ寄らせてほしい」と懇願してみた。

 

「…Okay」

 

これこそが、運命の分かれ道となったのだ。

 

 

日本という国がいかにキチンとしており、いかに真面目な民族なのかがよく分かる光景に出くわした。

 

私は今、オリンピック会場内の女子トイレにいる。20室ほどある個室のドアは、完全に開いていたり半開きだったりと、様々な状態で並んでいる。

海外のトイレは足元が大きく開いているのが特徴ゆえに、ドアがどうなっていようが、足元を見れば人間の存在が確認できるのだ。

――ということは。

 

午後の部の入場が始まるまで、およそ3時間。私がトイレに潜んでいたとして、仮に見つかっても「腹痛」を理由にこもっていたと説明すれば、なんとか見逃してもらえるだろう。

なんせ4年に一度のお祭りである。その辺りは、さすがに寛大な処置となるはず。

 

こうして私は一番奥の個室に入った。そして便座に上ると、ヤンキー座りで体勢を整えた。さらに片手でドアを半分ほど押し戻すと、パッと見ただけでは私の存在が確認できない状態を作り上げたのだ。

 

これが日本ならば絶望的だろう。なぜなら、トイレのドアが半開きになっていることなどないからだ。全てのドアが同じ角度できちんと開いており、もしも中途半端な個室があれば間違いなく怪しまれるわけで。

だがここはブラジル。トイレは詰まって溢れ出すわ、ドアの鍵は片方付いていないわ、と何でもあり。だからこそ、人為的に不自然な状況を作ったところで、怪しまれることはないのである。

 

 

便座でヤンキー座りをしたまま、2時間が経過した。

ここまでの間、じつに三度の見回りがあった。だが予想通り、床をライトで照らす程度のチェックで、すぐに出て行ったのだ。

 

私は照明の消えた薄暗いトイレから、30分に一度、友人らへ安否確認を送っていた。

「もう少しの辛抱だ!好きなものおごってやるから、粘れ!」

「おまえならやれると信じてる、とにかく頑張れ!」

命がけの役回りを押し付けた罪悪感からか、やたらと熱いメッセージが届く。――そんなこと言われなくても、必ずや午後の部まで残ってみせる。

 

 

長時間の集中と疲労から、半ば放心状態で2時間半を迎えた頃、突如、トイレの照明がついた。まさか、午後の部の入場が始まったのか?!

耳を澄ますと場内から音楽が聞こえてくる。そう、今まで死んでいた会場に生気が蘇ったのだ。

 

半泣き状態で、痺れる足をさすりながら便座に腰を下ろす私。

(やった、ついにやったぞ!私は午後の部を迎えることができたのだ!)

最後にしっかりと用を足すと、颯爽とトイレを後にしたのである。

 

まさかの「罠」

トイレを出てアリーナへ足を踏み入れた瞬間、これが「罠」であることに気がついた。

照明がついたことも、音楽が流れだしたことも事実だが、観客の入場はまだだったのだ。がらんとした場内で部外者は私一人。ボランティアたちが、シートやゴミ箱などの異物チェックをしている姿が見える。

 

(ま、まずい。せっかくここまで粘ったのに、こんなところで終わるわけにはいかない…)

 

私は咄嗟に記者席を探した。オリンピックともなれば、各国のメディアが集まっているわけで、人種も服装も様々なはず。そこへアジア人の私が紛れ込んでいたとて、不自然ではない。

そして見つけたメディアのエリアで、空いている机に滑り込むと仕事をするフリをした。

(・・たのむ。どうかこのまま、あと少しだけ生き長らえさせてくれ)

 

「Hello?」

 

――終わった。

やはり虫が良すぎたのだ。こんなトントン拍子に事が運ぶわけがない。少なくとも、あと少しのところまで粘った自分を褒めようじゃないか。異国の地でここまでやれたこと、心から評価したい。

 

観念した私は、諦めと開き直りの笑みを浮かべながら顔を上げた。するとボランティアの男性が、ペットボトルの水を手渡しながらこう言ったのだ。

 

「Have a good day!!」

 

どうやら私をどこかの記者と勘違いした様子。そりゃそうだ、メディアエリアでスマホをいじっているのは、普通に考えて休憩中の記者以外にありえない。

こちらも笑顔で礼を言うと、もらった水でのどを潤す。そして私は、初めて椅子にもたれかかり会場全体を見渡した。

 

(こんなにも広い会場に、部外者は私一人か・・・)

 

感慨深い気持ちに浸りながら、もう一度、水を口に含むとゆっくりと飲み込んだ。

 

大爆笑

ヒャッヒャッヒャ!!

なんとも下品な笑い声が響く。そう、午後の部の入場が開始となり、仲間たちが戻って来たのだ。

 

「便座にヤンキー座りで3時間を乗り切るなんて、前代未聞だよ!」

 

隣のイギリス人にまで、ここまでの経緯を説明している。まぁいい。笑い話になるのは成功したからこそである。

ロンドン、リオデジャネイロと二大会連続で「珍事」を経験した私は、無観客となった東京をスルーし、次のパリ五輪ではどのような偉業を達成するのだろうか。(了)

 

Illustrated by 希鳳

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