日常生活における些細な後悔

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ヒトは日々、小さなことに腹を立てたり失望したり、喜怒哀楽を繰り返しながら人生を謳歌している。

たとえば急いでスリッパを脱いだ時、片方がひっくり返ったりすると腹が立つ。なぜなら、「スリッパを直すためにわざわざしゃがむ」という、無駄で余計な行為を自ら作り出してしまったからだ。

 

些細なことかもしれないが、日常的な後悔というものはわりと起きている。それらの多くは、他人にとっては「大したことではない」のだが、自分にとってはその一回が、一秒が、大後悔となるのだ。

 

そんな事件が、ついさっき起きた。

 

 

医師である友人から、「シャンプーは使わないほうがいい」という警告を受けたことがある。話せば長くなるので割愛するが、彼の言い分は至極真っ当で納得できる内容であった。

とはいえ、現代社会において、何日も髪の毛を洗わずに生活することは難しい。ましてや体質が改善されるまでには、少なくとも数か月から半年はかかるため、その間ずっと湯シャンで過ごすというのは、殊に女性にとっては厳しいだろう。

 

そこでわたしは、「せめてシャンプーくらいはまともな成分のものを使おう」と思い、ヘアサロンで販売されているシャンプーとコンディショナーを愛用しているわけだ。

 

ちなみに美容師の友人に言わせると、

「市販のシャンプーだったら、使わないほうがいい。あれなら、湯シャンのほうがマシ」

とのこと。容器裏の成分表を見てみると、サロン専売品と市販のシャンプーでは確かに記載内容が異なる。

とくに市販品には、安価で利用できる「石油系合成界面活性剤」が使用されており、経皮毒ではないにせよ、あまり気持ちのいいものではない。

 

そんな経緯もあり、わたしはヘアサロン御用達の立派なシャンプーを使っているのだ。

無論、安くはない。ポンプ付きの容器で購入すると数千円するため、コンディショナーと合わせると一万円ほどの高級品である。

 

そしてケチなわたしはなるべく少量で済ませようと、プッシュの際には非常に気を使っている。

一度手のひらに出してしまったら、わざわざポンプへ戻すのも貧乏くさいので、とにかく失敗しないように慎重に押すわけだ。

 

さらに不思議なのは、「シャンプーよりもコンディショナーのほうが減りが早い」という事実。

ショートカットのわたしは、どちらもワンプッシュで事足りるが、同時に使い始めた場合はなぜか必ず、コンディショナーのほうが先に終わってしまうのだ。

 

一回の吸い上げ量というか吐出し量というかが、粘度の高いコンディショナーのほうが多いのだろうか?

それとも、コンディショナーよりも液状であるシャンプーは少量でも泡立つため、意図的に少なくプッシュしているのだろうか?

 

いずれにせよ、今までの人生でシャンプーとコンディショナーが同時に空になったことなどない。毎回必ず、コンディショナーが先に終わってしまうのである。

 

積み重ねてきた生活の知恵というか、人生の教訓というか、シャンプーとコンディショナーを同時に終わらせるためにも、あえてコンディショナーのプッシュを浅くしているわたし。

「その分、シャンプーをたっぷり使えばいいのでは?」と言われるかもしれないが、いやいや、どうせならシャンプーも長持ちさせたいではないか。

 

こうして日々、少量のシャンプーと極少量のコンディショナーとで、なんとかボトルの均衡を保っているのであった。

 

それがだ。こんなにもコンディショナーに気を使ってきたにもかかわらず、わたしはさっき、コンディショナーの無駄遣いをしてしまった。

――経緯はこうだ。

シャワーを浴びながら、今日の反省や明日への課題を整理していたところ、髪の毛をすすぐ時がきた。そこでシャワーの下に頭を突っ込むと、ガシガシと洗い流した。

それから左手を伸ばし、コンディショナーをワンプッシュして、髪の毛に丁寧に塗りつけた。

その瞬間、戦慄が走った。

 

(し、しまった。さっきコンディショナーをつけたんだった・・・)

 

コンディショナーを塗る指先に、身に覚えのある手触りが残っている。そうだ、一分前にも同じことをした気がする――。

 

まだ手のひらにある状態ならば、ポンプへ戻すこともできたであろう。しかし髪の毛にしっかりと馴染ませてしまったのでは、戻しようがない。

ただでさえ減りの早いコンディショナーだというのに、無意識に二回もコンディショナーを浪費してしまったのだ。

あぁ、取り返しのつかないミスをしてしまった・・・。

 

 

こうして、わたしの日常的な後悔は続くのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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