一筋の擦り傷~名誉の負傷~

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わたしはふと、「とおりゃんせ」の歌詞を思い出した。

(行きはよいよい帰りはこわい・・・)

この意味は諸説あるそうだが、いずれにせよ、往路はルンルンだが復路は恐ろしい(あるいは、疲れてどうしようもない)ぞ、ということだ。

 

行きは調子よく飛ばせるが、帰りはその反動でくたばってしまうケースといえば、登山、遠足、マラソン、買い物などが挙げられる。

体力の問題もあるが、物事は往々にしてこのパターンに当てはまりがち。

 

そして今、自分の右手前腕にできた「一筋の擦り傷」を見て、とおりゃんせの歌詞が浮かんだのだ。

 

行きはよいよい帰りはこわい――。

たしかにその通りだった。

 

 

大宮駅から徒歩25分、あるいはバスで10分。

そこには、充実した動物展示数にもかかわらず、それらを無料で楽しむことのできる動物園がある。

そう、大宮公園小動物園だ。

 

先日、この動物園で暮らす3頭のカピバラたちに会ってきたわたしは、その感動も冷めやらぬまま本日を迎える。

ジャンボキウイのような、はたまたでっかいジャガイモのような図体のカピバラは、無表情でチャーミング。

そんな彼らに触れたい一心で、わたしは金網の隙間から手を伸ばした。

 

・・・この行為こそが、「とおりゃんせ」の歌詞を思い出させることとなった。

 

飼育員の許可を得て、わたしはオスのカピバラ・ピースの背中を撫でようと、縦長の金網のマス目に手首を通した。

しかしピースとの距離があるため、届かない。

そこでもう少し腕を伸ばし、前腕あたりまで金網に押し込んだ。

 

(おぉ、ピースの背中の毛先に触れることができた!)

 

だがこれでは、撫でることができない――。

 

そこでわたしは、細いマス目に腕をグイグイと押し込んだ。

腕が水平だとこれ以上は進まない。ならば腕を縦にして、体重を乗せてさらに押し込んだらどうか。

 

・・・スポッ

 

とうとう肘まで突っ込むことに成功した。これで辛うじて、ピースの腰から背中までを撫でることができるようになったわけだ。

 

そこからわたしは、一心不乱にマッサージを施した。指を立ててガシガシと掻いてやった。

さらに指を立てたり寝せたり、ときには円を描くようにして、ピースのご機嫌を損ねないように必死に撫でた。

 

石ころを口の中で転がしながら、食後の歯磨きをするピース。

わたしへは背中を向けて座っているため、その表情は確認できない。

 

(もう少し手が届けば、肩のほうまで撫でられるのに・・)

 

だがさすがに、子どもの腕ならば余裕で通すことができても、大人の腕では無理がある。

ただでさえわたしの腕は、金網によってガッチリ固定されているのに、これ以上はどうやっても伸ばすことができない。

仕方ない、今できる限りのベストを尽くそう――。

 

わたしはひたすら、ピースの背中を指先で撫でた。

そして5分ほど経った頃、ピースは立ち上がり、ラメール(姉?妹?)のところへ行ってしまった。

 

(まぁ動物だし、人間の思うようにはいかないよな・・)

 

残されたわたしは、しぶしぶ腕を抜くことにした。

 

(・・・ん?)

 

う、腕が抜けない。

腕を手前に引くと、前腕で引っかかり身動きが取れなくなった。

それでも強引に前後に動かしてみるが、金網全体が大きく波打つだけで腕の位置は変わらない。

 

(そうだ、腕を縦にすれば少し細くなるはず!)

 

突っ込む際にやった動きを再び試みる。しかしなぜか前腕の太さは変わらない。

そもそも金網が肉に食い込んでおり、腕を縦にしようが横に使用が、一ミリも変化は見られない。

 

(まずい・・・)

 

小さな子どもが、カピバラを見にこちらへやって来る。わたしは焦って、腕を激しく前後に揺らした。

 

ガチャンガチャン・・・

 

金網が音を立てて揺れるだけで、腕が抜ける気配など感じられない。

 

すると子どもが母親にこう尋ねた。

「お母さん、あの人、腕が抜けないみたいだよ」

それに対して母親は答えなかった。

母親のほうを見ていないので何とも言えないが、想像するに、人さし指を口に当てて「シッ!」とやったのではなかろうか。

 

わたしは全身の力を込めてグッグッと腕を後ろへ引いた。この際、皮膚が擦り剝けようが何しようが構わない。とにかくここから腕を抜かなければ――。

 

 

こうしてできた「名誉の傷跡」こそが、この一筋の擦り傷なのである。

金網に腕を通した際、そこまでキツイ様子はなかった。だが突っ込んでいるうちにうっ血したのだろうか、腕が太くなってしまったようだ。

 

そういえば指輪も同じだ。無理矢理はめてしまうと、外すときにとんでもないことになる。

とくに幅のある太い指輪は要注意である。第一関節を通過することができず、消防署や病院の世話になることだけは避けたい。

 

とにかく、行きはよいよい帰りはこわい。

なにごとも、強引に突き進むのは控えるべきである。

 

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