友人は「バックシャン」と呼ばれ、後ろ姿が美しい女性とされる。
過去にプラチナ通りで背後から抱き着かれた経験があり、最近でも背後からナンパされるらしい。
「でも顔みたらオバサンだから、みんなガッカリして逃げてくよ~」
いやいや。確かに年齢は上かもしれないが、全身から漲(みなぎ)る若さとキラキラ感が溢れている。
少なくとも実年齢から10歳以上は若く見られる彼女、天然の美貌と天性の若さを兼ね備えた美魔女だ。
ちなみにそんな話を聞く前から、わたしは常に背後に意識を張り巡らせながら行動している。
いつ襲われても対処できるよう目は前方を、神経は背後に置いている。
道を歩いている時だけじゃない。エスカレーターで立っている時も、背後からチョークスリーパーされたら、もしくは胴タックルされたらどうすべきか。イメージトレーニングを欠かすことはない。
さらには、逆サイドのエスカレーターから人が飛んできた場合の対処まで用意してある。
そんなわたしが今日、背後から不吉な気配に襲われた。
*
場所は渋谷区広尾、日本が誇る金持ちエリア。
港区白金によくいる、金持ちであることを鼻に掛けたような下衆な人種はいない。
むしろ、
「お金って、なぁに?」
と言わんばかりの、お札など鼻紙程度にしか思っていない「天然高所得者」が住んでいる。
大使館や大邸宅、インターナショナルスクールがひしめき、外国人とすれ違う率も格段に高い。
わたしは、お気に入りの食パン専門店「PANSHIROU TEZUKAYAMA 広尾店」を訪れた。ここは2種類の食パンが販売されており、「角」と「山」と命名されている。
普段はしっとり目の「角」を好んで買うのだが、本日は、店員のお姉さんの好みが「山」だったため、あっさり「山」を購入することにした。
いかんせん美人に弱いのだ。
焼きたての食パン2斤を抱えて帰路につく。
ーーむしろ歩きながら食パンをつまもう。そのほうが味も新鮮だし、時間の有効活用にもなる。
そんなことを考えながら、食パンの袋に手を突っ込んだ瞬間。
「コラッ!」
背後から下品な叫び声が聞こえる。
ここは広尾、日本屈指の高級住宅街。なのになんだ?この下品なダミ声は。
どうせ、間違えて広尾に迷い込んだ下町のオバハンが、鼻たれ息子を叱っているのだろう。とにかく恥ずかしいからやめてもらいたい。
重いため息をつきながらわたしは歩き出した。すると、
「おい、コラッ!コラッ!」
同じ人間として恥ずかしくなる。子どもを叱るにしても、もう少し言葉を選べないものか。
いくら田舎者といえど、周りを見渡せば自分が浮いていることくらい分かるだろう。まったく田舎者の根性ときたら、これだから埒(らち)が明かない。
わたしは歩みを速めた。こちとら、痩せても枯れてもシロガネーゼ。いなかっぺのオバハンと鼻たれ小僧などと一緒にされては困る。由緒正しき誇り高き港区民なのだから。
密かなプライドを胸に、振り向くことなく頑なに歩き続けたその時ーー。
「コラッ!!なにしてんだ!!」
真横から例のダミ声が聞こえるではないか。恐る恐る声がする方向に顔を向けると、
くまが あらわれた!
ドラクエで敵に遭遇したかのような衝撃を受けた。なんと、昨年柔術の試合で対戦した、バカでかいクマが車から乗り出して叫んでいたのだ。
「アンタ、後ろ姿ですぐわかったわよ!」
なんと!まさかのバックシャンということか?!
しかし喜ぶのもつかの間、クマが広尾をうろついていては人間が迷惑する。すぐさま保健所と警察に通報しなければ。と、スマホを取り出した瞬間、
「ほら、これあげるわよ」
車内からクマがジュースを放り投げた。なんと、わたしを餌付けするつもりか。
しかし、飲食物に目がないわたしはジュースをいそいそとしまい、当局への通報は止めにした。クマに買収された形になるが、致し方ない。
*
東京とは恐ろしい街だ。ヒトだけでなくクマまでもがウロウロしている危険地帯。
もはや、コロナウイルスどころの騒ぎではない。
Illustrated by 希鳳
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