大学受験の最後に弾いた曲が、ベートーヴェンだった。
人生2巡目のピアノをスタートさせて一年、苦手な曲ばかり練習してきたが、本日ようやく、ベートーヴェンが戻ってきた。
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人には得手不得手が存在するが、ピアノでいう私の得意はもしかするとベートーヴェンかもしれない。
昔は、情感たっぷり自分に酔いしれながら弾くショパンが得意だった。
大いなる勘違いだが、
「自分でも惚れ惚れしながら弾くくらいだから、誰もが素晴らしいと思うに違いない」
と、真剣に思っていた。
若気の至りというやつだ。
食べ物でも洋服でも、「好み」はそう大きく変わるものではないだろう。
だがこの一年、苦手な曲ばかり徹底的に弾かされた私は、かつてと好みが変わったようだ。
変わったというより、当時弾けなかった弾き方ができるようになったため、選択肢が増えたというべきか。
話は変わるが、柔術の醍醐味の一つに「指で相手の袖を引っかけてコントロールする」という動きがある。
イメージとしては、袖に指の第一関節を引っかけてぶら下がる感じ。
手で握るわけではないので力を使っている自覚はないが、実際は少なからずどこかの筋力を使っているとは思う。
そして、柔術を3年も続けていると指の形が変形する。
袖に引っかけた指が道着と擦れることで、すべての指の第二関節はカサカサで固くなり黒ずんでいる。
第一関節は節くれだって平べったくつぶれている。
なにより私が驚いたのは「指の特徴」が真逆になっていたこと。
さんざん指を引っかけて練習した結果、握るよりも伸ばしているほうが自然な状態となってしまったのだ。
指が反りかえりそうなほど、ピンと真っすぐに固まっている。
このせいでピアノを弾く時、無意識に指が伸びていることに気が付いた。
弱い音を柔らかく弾くとき、手や指は脱力した状態を保ちたい。
だが指が勝手にピンとなるので、鍵盤に「触れる」というより「叩く」ような弾き方になってしまうのだ。
できればふわっと丸めた指の形をキープしたいが、無意識に指が伸びるため、必要以上に「ふわ」を意識しなければならない。
脱力することを意識的に行おうとすると、逆に力が入ってガチガチになる。
ーー昔はこんなこと気にしないで済んだのに
まぁこうなってしまったものは仕方ない。
このロボットのようにぎこちない指で、なんとか柔らかい音を出す工夫をしよう。
ピアノを再開した一年は「指」との戦いだった。
この不器用で動かない指をどうやって使える道具にするか、を考え続けた一年だった。
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ベートーヴェンに限った話ではないが、たまたま今日から取り組む曲に面白いリズムが登場する。
左手で4つ弾く間に、右手で6つ弾く。
もちろん均等に。
この割り切れない感覚、音楽を嗜む人ならなんとなく分かるだろうか。
スパッといかないアンニュイな感じ。
左4、右6の前に、左2、右3が出てくる。
それぞれ1拍目は同時に弾くので、右の2と3の間、もっと細かくいうと右の2寄りの2と3の間に、左の2を入れるのだ。
これは機械的には無理なので、感覚で捉えるしかないだろう。
とにかく、拍の最初と最後は合わせなければならないので、途中の「割り切れない部分」をなんとかうまく乗っけてまとめる。
ーーこんなややこしいリズム使わなくても
そう思いたいのだが、なぜか不思議と耳に残る、胸を刺すようなリズムでもある。
バラバラ追いかけっこをしていると思えば、最後はピシッと揃う。
少しずれている歯痒さが、よりムーディーに曲を彩る。
(これって人間関係も同じだな)
うまくかみ合わない者同士が一つになったとき、想像以上に未知なリアルが生まれる。
まさかそうなるとは予想だにしない、複雑で魅力的な何かが。
そんな遊び心に口元を緩ませつつ、ベートーヴェンとの再会に感謝する。
Illustrated by 希鳳
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