「おまえに可能性を感じる」と称された、とあるコーヒー豆の話。

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(ていうか、「このコーヒー豆には可能性を感じる」だなんて、豆からしたら死してなお栄えある誉め言葉だよな・・)

行きつけのカフェにて、4杯目に選んだ——というか選んでもらった豆の香りを嗅ぎながら、わたしは感慨に耽るのであった。

 

 

浅草橋駅の高架下に店を構えるnano coffee roaster(ナノコーヒーロースター)の店主である春日さんは、学生当時に内定をもらっていた企業があるにもかかわらず、突如とある個人経営の珈琲店(とはいえ、昭和53年創業の歴史ある老舗で、コーヒーの質および店内の雰囲気が素晴らしい有名店)へ就職を決めた。

それから25年、コーヒー業界を生き抜いてきた彼は満を持して浅草橋で自身の店をオープンさせた。そこではエチオピアコーヒーのみを扱っており、いわゆる「モカ」と呼ばれるジャンルにこだわっているのが特徴。

さらに、春日さんが仕入れ&焙煎した個性豊かな豆を使い、春日さん本人が各地で出会った選りすぐりの磁器へ注がれる極上のコーヒーが飲めるとあり、まさに至福のひと時が過ごせる場所なのだ。

 

そんな素敵なカフェにて、ちょっと特別な一杯を味わわせてもらったわたしは、その味や香りというより春日さんが放った”セリフ”に感銘を受けた。それが、冒頭の発言である「この豆には、可能性を感じるんですよね」というものだった。

コーヒー豆は、元はといえば植物の種子だから生き物といえる。とはいえ、植物に意思や感情があるかどうかは分からないが、彼らが「コーヒー豆」と呼ばれるまでにはとてつもない時間を要する・・ということを、まずは理解しておこう。

コーヒーの木が育ち、「コーヒーチェリー」と呼ばれる赤い実が成ったらそれを収穫し、果肉を除去(精製)した後に乾燥・脱穀を経て生豆となり、それらを麻袋に詰め込んで世界各地へ輸送する。そして、店舗にて焙煎された時点で初めて「コーヒー豆」という呼び名を名乗れるようになる——このような長い工程を経て、グラインドされたコーヒー豆に湯を注ぎ一杯のコーヒーが誕生するわけだ。

 

仮に、焙煎後にコーヒー豆となった時点で・・いや、さらに豆を挽いて粉々になった時点でも、なおコーヒー豆に意思や感情があるとするならば、春日さんが呟いた「この豆には、なんとも言えない魅力がある。そんな可能性を感じる豆なんですよね」という発言に、彼らは目頭を熱くしたことであろう。

産地やブランドによって自身の価値が左右されるコーヒー豆にとって、それは生まれながらにして運命が決まっていることを意味する。にもかかわらず、見ず知らずの異国の地にて、一人のコーヒー職人の口から「おまえに可能性を感じる」などと言われたら、本望どころかこの世に生まれ落ちた価値と感謝を嚙み締めるに違いない。

 

そんな、粉々になったコーヒー豆から抽出された汁・・すなわち淹れたてのコーヒーを啜りながら、わたしは彼らの魂が歓喜するのを感じた。いや、喜びに震える雄叫びが、どこからともなく聞こえてくる気がしたのである。

 

ちなみに、「可能性を感じる豆」と評価されたのは、エチオピアの南にあるシダマ地方のタミルタデッセ農園にて生産された、Murago(ムラゴ)というロット。そんな「ムラゴ」について、春日さんいわく

「このコーヒーには、惹きつける魅力と輝きがある。エチオピアのトップオブトップ、テロワール由来の圧倒的なフレーバーと複雑さ、そして果実感ある甘さが特徴。さらに、伝統的な製法でありながらも斬新かつユニークなアロマとトロピカルな印象が、新たな可能性を感じさせるニューナチュラルといえるでしょう。そんな、世界中が注目する唯一無二のコーヒーをご堪能ください」

と、高評価を通り越してベタ褒めである。

まぁ、わたしのようなコーヒー素人からすれば、ムラゴがどれほど味わい深いものなのかを実感するのは難しい。とはいえ、このような説明を聞きながら口に含むと、なぜか特別な味に感じるから不思議なのだ。

 

 

コーヒーのプロであり職人である春日さんを唸らせたムラゴは、死してなお輝きを失わず人間の五感に訴えかけるのであった。

 

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