チラ見わらび餅、デビュー

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普段からよく目にするのだが、一度も立ち寄ったことのない店というのは割とある。特にシュークリームやタルトなどの店に長蛇の列ができていると、わざわざ並んでまで食べたいとは思わない。

そのくせ、たまたま通りかかった時にガラガラだったとしても、それはそれでなんとなく恥ずかしくて立ち寄ることができないわけで、結局のところ一度も世話になることなく終わるのである。

 

しかし、そんな縁遠い店で売られている商品でも、友人からもらうと印象は変わるもの。ましてやそれが、そもそも好きではない和菓子だったりすると、意外を通り越して感動すら覚えるのであった。

 

 

友人から「わらび餅」をもらった。わらび餅って、なんだ?名前くらいは聞いたことがあるが、これといって美味そうな見た目でもないし、きな粉がまぶしてあるため粉末が飛び散るんじゃないか、と警戒する食べ物として私の中では認識されていた。

モチやモチ米は好きだが、きな粉は別に好きではない。しかしこれらの媒体とセットできな粉がこびりついているため、「仕方なく一緒に食べてやるか」程度の価値しか感じられないからだ。時にはきな粉を洗い落として、媒体のみを食すことすらも。

 

そんな私に、友人はかねすえのわらび餅を手土産としてくれたのだ。好き嫌い関係なく、食べ物をもらうことは嬉しいし、何よりその気遣いがありがたい。帰宅するとそっと、冷蔵庫に閉まったのであった。

 

翌日、そういえばわらび餅をもらったことを思い出し冷蔵庫を開ける。空っぽの庫内には、わらび餅だけがでーんと横たわっている。

さほど期待もせず、とりあえず腹が減ったので食べてみようか、くらいの気持ちで包装紙を破り捨てフタを開けると、中にはやや片寄ったわらび餅の集団が寝そべっていた。

(あぁ、生ものだったのか)

なんとなく「わらび餅」という名称から、くず餅や羊羹のような常温保存可能な和菓子をイメージしていたのだが、現れたのはきな粉を纏ったみずみずしい半透明のゼリーだった。とはいえゼリーよりも柔らかく、箱を揺らすとプルプルとわらび餅たちも震える。

 

そもそも「わらび」というのは、山に生えている春の風物詩として有名な植物のこと。くるんと巻いた頭のあの山菜が、どうしたらこんな甘いスライムに変化するというのだ。

どうやらわらび餅の歴史は古く、平安時代にはすでにその存在が認められている。当時、醍醐天皇の大好物でもあったわらび餅は、わらびの根を叩いてほぐして洗ってデンプンを取り出し、それを乾燥させた「わらび粉」から作られるため、手間がかかり希少価値のある高価な食べ物という位置づけだった。

ちなみに手作業の場合、10キロのわらびから作られるわらび粉の量は、わずか100グラムにも満たないのだそう。さらに何度も水洗いを繰り返しながら、およそ半月をかけてわらび粉が完成するとなると、手間暇かけて出来上がったわらび粉から作られるわらび餅は貴重であり、庶民の味というよりは貴族の食べ物だったのかもしれない。

 

とにかく、これまでまじまじと見つめる機会のなかったわらび餅を、プルプル揺らしながら眺める。案外、かわいいかもしれない。

そして早速、割り箸でつまみ上げると、口へと放り込む。

(・・・甘い!!)

なんというか、予想を覆す甘さと歯ごたえを感じた。ゼリーというには粘り気があるし、モチというにはサッパリしすぎているし、これはやはり「わらび餅」というしかない、モチゼリーの歯ごたえである。

ひんやりツルンとしたモチゼリーは、表面を覆うきな粉がちょうどいいアクセントになっている。サラッとした舌触りと、きな粉特有の甘くもなければしょっぱくもない、それでいてしっとりとした質感が、冷たいわらび餅を温かく包み込んでいる。

さらに和三盆の黒蜜が付いているが、そんなものを垂らさなくても十分な甘さがわらび餅自体に染みこんでおり、いかんせん箸が止まらない。

 

弁当箱ほどの大きさの容器にびっしりと詰められていたわらび餅は、あっという間になくなってしまった。

食後に、このわらび餅を作る「かねすえ」についてネットで調べてみたところ、なんと、いつも池袋駅の北口でチラ見していた、あの店ではないか!

 

 

わらび餅という未知の和菓子に興味が湧かなかった私は、かねすえのレジ前に立つことはないと思っていた。

だが近いうちに、あの場所に立っているであろう自分の姿が思い浮かぶのである。

 

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