厚紙との軋轢に終止符

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発見というのは、ひょんなことから生まれるものだ。むしろ、狙って得られるものではなく、偶然その結果にたどり着くことが多いので、成功というのは思わぬタイミングでやってくるもの。

そして今日、わたしは世紀の大発見をした・・といっても過言ではないほどの、衝撃的な事実を知った。その感動とライフハックとしての価値を、ここに記しておこう。

 

 

今月に入ってから、仕事の関係先からお歳暮が届くようになった。皆さん、わたしの趣味趣向をよくご存じであり、調理せずとも食べられるものが続々と届くわけで、そのご厚意をありがたく受け止めつつも、後に残る”空箱の始末”に漫然と不満を覚えていた。

空箱のどこが不満かというと・・箱に使われている厚紙が硬すぎて、家庭ゴミとして適したサイズに圧縮できないという点だ。

 

ものによっては段ボールの場合もあるが、我が家に届くギフトは厚紙のケースで梱包されいることが多い。例えるならば、ホールケーキの箱をさらに厚くしたバージョン・・という感じ。

そのため、立体的な箱を一枚の厚紙まで分解するも、それを細かくちぎるのは難しいし、小さく折りたたむことも難しい。かといって、段ボールではないので広げたままゴミ捨て場に置くのも気が引ける——クソッ、イライラする。

 

わたしはゴミにプライドを持っている。いかんせんわたしが作る家庭ゴミは、いつどこで誰に暴かれようが、まったく恥ずかしくない状態で作られているのだ。

具体的には、食糧が入っていた容器は洗剤で洗ってピカピカにし、果物の残骸は天日干しをして水分を飛ばしてから冷凍庫で保存し鮮度を保ち、個人情報が記載されたものはパズルの天才でも繋げられないほど細かくちぎったり塗りつぶしたりし、すべてのゴミを清潔かつ安全かつコンパクトにまとめてゴミ袋へ納める——ここまで徹底した「美しく完璧な家庭ゴミ」を作り上げるわたしにとって、高級フルーツやベーコンの詰め合わせが入った厚紙の箱というのは、もっとも厄介な存在なのだ。

 

ちなみに、ゴミ作りの大前提として「体積を小さくすること」が重要となる。そのため、たとえ無断で投函された不要なチラシに殺意が湧こうとも、全力で握りつぶし小さな紙屑へと変えることで、爆発寸前の感情をどうにか押さえることができるのだ。

だが、厚手の紙というのはちぎるにせよハサミで細かくするにせよ、思っている以上にチカラと根気が必要な重労働となるのは事実。加えて、紙屑のようにぐしゃっと丸めることも不可能であり、わたしが求める「完璧な家庭ゴミ」の足を引っ張る、邪悪かつ忌むべき存在なのである!!!

(ハァハァ・・)

 

そして今日、生クリームたっぷりのホールケーキを貪り食った後、箱の内側にこびりついていた生クリームを舐めながら思った——舐めたからといってきれいになったわけではない。なんならわたしの唾液が付着しており、そこから雑菌が繁殖する可能性もある。

そこでわたしは、ケーキの空箱を持ってキッチンへ向かい、それを洗い始めた。厚紙でできたケーキの空箱を、洗剤をつけて丁寧に水洗いする・・なんていう経験はないが、樹脂だろうが紙だろうが汚れが付着しているならば洗い流すのが当然。むしろ、なぜ今まで生クリームを舐めるだけでゴミとして捨てていたのか、自分自身の愚かさに愕然とする。

そんな自責の念に駆られながら、わたしはとある変化に気が付いた——あ・・厚紙が、柔らかくなっていく。

 

紙というのは、木材でできた繊維が密着し、水素結合により固まったものである。そのため、繊維の間に水が入り込み水素結合がほどける→繊維の間が押し広げられる→紙が膨張して弾力失う→結果として、柔らかくふにやっとした状態になるのだ。

この事実を発見したわたしは、とりあえずケーキの箱を手のひらサイズまで握りつぶした後、お歳暮の空箱をシンクにぶち込み水をかけた——おぉ、みるみる柔らかくなっていくじゃないか!!

 

 

こうして、さっきまでデカいツラをしていたお歳暮の厚紙たちは、見るも無残なサイズへと圧縮させられたのである。その結果、他のゴミたち同様に大人しくゴミ袋へ収まるようになった。

今までの人生で、長い間クリアできなかった問題の一つである「厚紙をゴミとして捨てる際の処理」について、まさかの発見から一気に解決へと結びついた奇跡に、思わず小躍りするわたしなのであった。

 

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