われわれが生きるこの世界では日々、嫌なこと、残念なこと、辛いことなどネガティブな出来事が起きている。無論、嬉しいことや楽しいこと、幸せなこともたくさんあるが、そんな"いいこと"ばかりで毎日を過ごせるわけではない。
だからこそわれわれは、二次元の世界に思いを馳せるのである。
漫画やアニメの世界ならば、現実ではあり得ない展開が期待できたり、死んだ人物が生き返ったり、はたまたとんでも大逆転が待っていたりと、ハラハラドキドキしつつも先が楽しみとなるストーリー性が魅力といえる。
それなのに、よりによって最悪の結末で終わるアニメを視聴し始めてしまったとき、テンションは下がるし気分は落ちるしいいことはない。「だったら観るのを止めればいいじゃないか」と思うだろうが、嫌な気分に陥れば陥るほど、負のスパイラルは止まらないものなのだ。
かつての"昼ドラ"だって、不倫だのいじめだの裏切りだのといった、人間のドロドロした部分を赤裸々に描いたからこそ、主婦層の強力な支持を得たのである。あれが爽やかな青春コメディや時代劇のような歴史モノであれば、昼ドラなどというワードすら誕生しなかっただろう。
つまり人間は、他人の不幸や秘密が大好物なのだ。そして、自分の身に起きてほしくはないが、他人が不幸になる分には一向に構わないわけで、その様子をモニター越しにニヤニヤ眺めることで、ある種のスリルと意味不明な優越感に浸るのである。
そんなこんなで、BGM代わりに視聴していたアニメは「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ第2期」だった。ガンダムシリーズに興味があるわけではないが、気がつくとほぼすべてのシリーズを見尽くしており、"ガンダム"というモビルスーツが重要なパーツであることくらいは認識していた。
だが最近のガンダム(たとえば、水星の魔女とか)は、モビルスーツ云々よりも人間関係やヒトとのシンクロ(同期や連結)に重きが置かれており、モビルスーツの性能云々は二の次三の次といった感じ。
それがイイ悪いの話ではないが、ハッピーエンドとまではいかなくとも、せめて納得のいく最後で終わらせてもらいたい・・というのが、視聴者というかわたしの切なる願いである。
なぜなら、輝きを失った日々をただただ過ごす庶民にとって、アニメという二次元の世界にこそ夢があり希望があるからだ。つまらない現実から逃避するためにも、せめて二次元では腹を抱えて笑ったり恋が実ったことに涙したりと、小さな幸せに触れられる未来を期待してアプリを起動する。
それなのに——。
それなのになぜ「鉄血のオルフェンズ第二期」は、進めば進むほど主要人物が死んでいくのか。もはや目を覆いたくなるほど・・いや、耳を塞ぎたくなるほど死亡フラグが立ちまくり、「この予感が的中しないはずがない」という自信を裏切ることなく、次々と戦場に倒れていくのだ。
作中で敵キャラの一人が、
「戦場ではまともなヤツから死んでいくのが常」
と言っていたが、ならばオルフェンズの登場人物は大部分が"まともなヤツ"だったのだろう。それはもうバッタバッタと死んでいくのだから・・。
こうなったら最後の手段、味方のフリをした狡猾そうなイケメンがいるので、「オマエだけは土壇場で裏切って生き延びてくれ!」と心底祈ったものである。
ところがそんな祈りも虚しく、かつて裏切った旧友に本心を打ち明けた後に、彼は静かに命尽きてしまったではないか。
(あぁ、一人でも多くの味方陣営に生き残ってもらいたい・・・)
これこそが死亡フラグである。わたしがそう願えば願うほど、重要人物は消えていくのだ。主人公の兄貴分が撃たれ、主人公の仲間たちが味方をかばったり相討ちをしたりして、次々と散っていった。
そして極めつけは、肝心の主人公までもが死んでしまったのだ。
——これはもはや事件である。ここまで主要人物が退場するアニメが、他にあるのだろうか。こんなにも後味の悪い作品は久々・・いや、初めてかもしれない。それほどまでに釈然としないまま、鉄血のオルフェンズは終了したのである。
(もっとも解せないのは、主人公とヒロインがくっつかなかったことだが・・・)
何一つ思い通りにならないアニメというのは、「私怨に近い感情を抱かされる」ということを覚えた、一月の終わりであった。
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