行きつけのパン店の一つに、MAISON KAYSER(メゾンカイザー)が挙げられる。
パリ出身の天才パン職人・エリックカイザーと、銀座の老舗ベーカリーの息子・木村周一郎の二人でプロデュースする、"日本におけるブーランジェリーの元祖"といっても過言ではないブランドである、メゾンカイザー。
幸いにも自宅の近くに店舗があるため、パンが食べたくなったらいそいそと通う生活を繰り返しており、メゾンカイザーのクロワッサンやハード系のパンを頬張れば、嫌な気分も吹っ飛ぶ魔法のパンなのだ。
とくにハード系パンに関しては、メゾンカイザーの右に出る者はいない・・というほどわたし好みの生地感なので、食べきれないほどのバケットやチャパタを抱えて帰宅するのがルーティン化している。
そんな「心の拠り所」であるメゾンカイザーを訪れると、店内を物色し始めたわたし。すでに先客が5名ほどうろついているため、「負けてなるか!」と鼻息荒くトングを掴むと、一目散にクロワッサンへと突進した。
(ラッキーすぎる・・焼きたてじゃないか!)
こればかりは運任せだが、大好物であるクロワッサンのカゴに「焼きたて」のプレートが刺さっていた。なんなら全部買い占めてもいいくらいに、バターの豊潤な香りがわたしの嗅覚を刺激する。
陳列されたクロワッサンの8割ほどをトレーに積んだわたしは、その隣にポツンと座る"さつまいものパン"に目が留まった。これはサツマイモペーストが練り込まれたモッチリ系のパンで、くるみやイチジクとは異なるまろやかさと風味を堪能できる逸品である。
(こいつはラッキーだ。他の客に取られる前にラスイチをいただこう!)
目を血走らせたわたしは、さつまいものパンに向かってトングを突き出した。その瞬間——、
「あーぁ」
わたしの左側にいたカップルが、二人同時にため息をついたのだ。な、なんと!この人たちもラストのさつまいものパンを狙っていたのか——。
心根の優しいわたしは、咄嗟にトングを離すと彼女たちのほうを見た。すると、突然ガバッと振り向いたわたしに驚いたカップルが、ギョッとした表情で固まっていた。
「いま『あーぁ』って聞こえたので、さつまいものパン譲ります!」
シロガネーゼとしては、がめつさだけは捨てなければならない。余裕のある上流貴族を演じることで、シロガネーゼの威厳と風格を保つ必要があるからだ。
するとカップルは、目を丸くしてこう言った。
「え・・? あ、会話の流れで『あーぁ』って出ただけなので、どうぞ持って行ってください」
と、笑いを堪えながら「どーぞどーぞ」の素振りを見せたのだ。
・・なるほど、骨伝導イヤフォンで音楽を聴いていたわたしは、彼女らの会話はまったく耳に入ってこなかった。ところが、二人同時に「あーぁ」と残念な声を出した瞬間を拾ってしまい、それがさつまいものパンに手を出すのと同時だったため、思わず勘違いをしたのだ。
若干の恥ずかしさを感じつつも、さつまいものパンを手に入れることができたわたしは、満足げに"ハード系パンエリア"へと歩を進めた。
(おぉ、カンパーニュもラスイチか・・)
ハード系でもっとも購買率の高いカンパーニュが、一つだけドーンと鎮座している。だが今日はクロワッサンを大量に買い占めたため、ここへ来てこの大きさのカンパーニュはさすがに食べ過ぎだろうか——。
(いや、後悔だけはしたくない!)
そうだ、もしも明日地球が滅亡するならば、このカンパーニュを買わなかったことを確実に後悔するだろう。そして、わたしの唯一の自慢は"底なしの胃袋"である。ここでヒヨってどうする!!!
そこで店員に、
「すみません、カンパーニュをカットしてもらえますか?」
と尋ねた。すると「もちろんです」と、かわいらしい女性が笑顔でカンパーニュを回収してくれた。
手でちぎりながら食べるカンパーニュも悪くはないが、できれば専門家にスライスしてもらったほうが美味みを感じるもの。なんせスライサーの精度が違うわけで、家庭で素人が入れるパン切り包丁のソレとは、断面の鋭さと美しさがまるで違うのである。
そしてレジ待ちをしていたところ、先ほどの女性が泣きそうな顔でやって来ると、済まなそうにこう告げたのだ。
「申し訳ございません、カットしてみたところ、こんな大きな穴があいていました」
そこには、パンの断面の半分以上が空洞となっているカンパーニュがあった。とはいえ、こんなものは仕方がないことで、小麦粉の分量は同じなのだから気にすることはない。
ところが彼女は、
「しかも3枚分に穴があいていたので、お代は結構です」
と続けたのだ。どうやら、本来ならばこのような大きな穴があいている場合は、商品として陳列しないのだそう。そういった理由からも「お代はいただけない」ということらしい。
無論、わたしは「大丈夫だよ、払うよ」と答えたが、最後まで頑なに「いえいえ、これではお代はいただけませんので・・」と拒む彼女の"オンナ粋"を汲んで、わたしは無料でカンパーニュを受け取ることにした。
*
「タダでパンがもらえてラッキー!」
ということではなく、不可抗力の大きな気泡の存在に対して「これでは商品として完全ではない」と判断した彼女の、ひいてはメゾンカイザーのプライドのようなものに胸を打たれた。
食べ物など、咀嚼してしまえば単なるエサでしかない。だが口に入れるまでの過程で、その見た目や香りは美味さを感じる上での重要な要素となる。それも含めて「美味しい食べ物」なのだ。
・・などと偉そうなことを綴りつつも、大好きなカンパーニュを無料で手に入れた喜びは大きい。口の中ではヨダレが溢れ、顔面ではニヤニヤが止まらないまま、わたしは家路を急いだのである。
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