僕は毎日ケージのなかから外を見ていた。
これといって楽しいことはなく、強いて言えば食事と睡眠くらい。
外の空気を吸うことも太陽や星を見ることもない。
朝になれば電気がつき、夜になれば電気が消える。
ただそれだけの繰り返しだった。
*
たくさんの人間が僕を見ては通り過ぎる。
いろいろな言葉を投げかけられるが、家族に迎え入れてくれる人間はいない。
そしてこの場所へ来て半年が経過する。
ワクチン接種も3回終わった。
あと少しここで過ごして買い手が見つからなければ、僕の人生(犬生)は終わる。
そういえば最近、毎日来る人間がいる。
僕はフレンチブルドッグという犬種で、顔がユニークらしい。
いわゆる「ブサかわいい」という評価をされる。
その人間は僕を見るたび
「見てこのブサイクな顔!」
と言って喜んだ。
ブサイクを笑うとは失礼な奴だ。
とうとう運命の日が来た。
店の閉店時間がきて、いつものように裏へ連れていかれると思った。
しかしその日は違った。
いつもと違うケージに入れられ、いつもと違う場所に置かれた。
そして黒い布をかぶせられてひとりぼっちにされた。
ーーいよいよ僕の人生(犬生)は終わるんだ
本能的に察知した。
この世に生まれて半年ちょっと、母親の顔すら覚えていない。
ほかの兄弟はどうしているだろうか。
生まれてからずっと、狭いケージでひとりで過ごしてきた。
この世が広いのか狭いのか、楽しいのか楽しくないのか、知ることもなく消えていくのだ。
たった半年だったが、僕にとってひとりの時間は長かった。
母親の温もりを知らず、冷たい金属の上で死んでいくのだ。
でももう寂しくない。
存在すら消えてなくなるのだから。
**
近所のホームセンターへ行くのが私の日課。
ホームセンターは楽しい。
いろいろな工具、資材を見たり触ったりすることが楽しい。
ガテン系に憧れる私は、マイインパクトを買ったりマイ水平器を買ったり、ガテン系になった気分を楽しんでいた。
ホームセンターの片隅にペットショップがある。
うちには黒い柴犬がおり、犬好きな私はペットショップで犬を眺めるのも日課の一つ。
小さな子犬は寝ていることが多いが、少し大きくなってくると一人遊びをする姿がかわいらしい。
そんな子犬たちのなかでも私が一目置くのはフレンチブルドッグ。
あの愛くるしい顔と運動神経の鈍そうな動きは病みつきになる。
最近、気になることがある。
フレブルの値段が日に日に下がっているのだ。
ここへ連れてこられた当初は30万円近かった値段が、今では12万円にまで下がっている。
生後半年を経過しても売れ残っているフレブルは、言い方は悪いがもう旬を過ぎている。
あとどれくらいフレブルと会えるのかわからないが、お別れの日は近いだろう。
そんなある日、フレブルの値段が10万円を切った。
これはもう最後通牒の捨て値だ。
愛くるしい表情のフレブルを見ながら、なんとも言えない切ない気持ちで一杯になった。
ーー翌日
閉店間際のホームセンターを訪れた。
買い物を済ませるとホタルノヒカリが流れ始めた。
帰り際にあのフレブルを見て帰ろうと、ペットショップに立ち寄る。
閉店時間を過ぎたため動物たちのスペースは消灯され、店員が片付けをしていた。
いつもの位置にフレブルがいない。
私は店員に、
「あのフレブルは?」
と尋ねた。
すると店員は申し訳なさそうに、
「明日、●●県に送り返すことになりました」
と教えてくれた。
つまりあの子はもう生きられないということだ。
それを聞いた途端、考えるより先に言葉が出た。
「私が買います、連れてきてください」
奥から引っ張りだされたフレブルは、あいかわらずブサイクな表情で小さくなっていた。
私はフレブルを抱きかかえた。
臭かった。
ペットショップを責めているわけではない。
犬が商品である以上、飼い犬のようにパーフェクトな清潔を保つことは困難だろうから。
しかし、このフレブルが過ごしたかった人生(犬生)はこんな小汚い生活ではない、と胸の中でつぶやいた。
店員はよろこび、さらに値下げをするとの申し出。
その裏には、フレブルの命がつながってよかったという安堵と感謝も込められていたと思う。
こうして私は、そのフレブルに「乙(オツ)」という名前をつけた。
うちには黒柴(チヌ)がいるので、2匹目の意味で「乙」と。
意味というよりその響きが気に入った。
オツ、というちょっと変わったチャーミングな響きが。
**
突然、店員がやって来て暗い部屋から連れ出された。
いつもの場所まで行くと、毎日来ていたあの人間が立っている。
両手を差し出す人間に、僕は初めて抱きかかえられた。
人間は僕の頭のニオイをかいで、
「クサい!」
と言って笑った。
自分では気がつかなかったが、僕はクサかったらしい。
クサいことは申し訳ない。
でも僕は、
これからも生きられる温かさを知った。
もう、ひとりじゃない。
**
そうそう、乙は「僕」ではなく「あたし」だった。
散歩で声をかけられるとき、
「乙くんおはよう!」
などと言われるが、乙はれっきとしたメスだ。
まぁ乙にとっては「くん」でも「ちゃん」でもどちらでも構わないだろうが。
飼い主はその都度、
「くんじゃなくてちゃんなんです〜」
と説明しなければならない。
一目でメスと分かるようにかわいらしい洋服を着せてみたが、それでも人々は
「乙くん、かわいいお洋服ね!」
と頑なに「くん」付けで呼ぶ。
ジェンダーについての考えや認識が多様化する今だからこそ、あえて性別を意識する必要もないか、と半ばあきらめモードの今日この頃。
クサかった乙。
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