ワインバーで独り考える、芸術が売れることとその価値との相関性

Pocket

 

 

自宅の目の前に、こじんまりとしたワインバーがある。

その名は “Chet”

 

広くはない店内にナチュラルワインと国産ワインがズラリと並ぶ。

ワインの横には、ALTEC LANSING(アルテック)のスピーカーがドンと2つ置いてある。

マスターのケンヂ君は、自分のお気に入りの曲をアルテックから大音量で流しつつ、ワイングラスを磨くのが日課。

 

 

オープン30分前、たまたま通りかかった私は店内でぼーっと座っているケンヂ君と目が合った。

 

このワインバーのはす向かいは、これまた風情のある珈琲屋。

カフェと呼ぶには古風、喫茶店と呼ぶには専門性が高すぎる、結局のところ「珈琲屋」としか呼びようのない店だ。

ここのマスターも一風変わった人物で、名を柊(ひいらぎ)さんと言う。

この響きの良い名字は、まぎれもなく本名だそう。

(こだわりのある人は、名前からこだわりがあるわけだ)

 

 

時刻は17時前、行くならば珈琲と思っていたが、先に足が止まったのはワインバーだったので、本日はワインにしよう。

 

 

まだ看板も出していない ”Chet” で、私は3席を占領しながらワインをもらう。

 

本日のチョイスは、ニュージーランド・マールボロ産の「Mahi」

ブドウの品種は「ゲヴェルツトラミネール」

やや辛口の白ワインだ。

 

 

「ライチの香りがすごいから」

 

そう言いながらケンヂ君がグラスを差し出す。

口へ運ぶ前から、甘く芳醇な香りが漂った。

トロピカルフルーツ、なかでもやはりライチだろうか。

はっきりとした香りを放つワインだ。

 

私は決して、ワインに詳しいわけではない。

むしろ、何を飲まされてもその優劣などまったく分からない。

ただこの店に来て、出されたワインを飲むだけの素人だ。

 

それでも、感じるものは言葉にできる。

 

「たしかにスゴいライチ臭」

 

余計なうんちくを嫌うケンヂ君は、ニッコリ笑った。

 

 

「このミュージシャン、僕の実家のすぐ近くの子なんですよ」

 

アルテックから爆音で流れる、歌詞が特徴的な歌を聞きながら、ケンヂ君は言う。

 

「しかもこの子、まだ23歳かつイケメン」

 

と、その子のプロフィールを差し出した。

 

藤井風(ふじいかぜ)、23歳。

181センチ、B型、イケメン。

実家は喫茶店、そこを舞台に3歳からピアノやサックスを奏で、若くしてシンガーソングライターとしての頭角を現した。

 

とても23歳とは思えない色気のある声質に、ムーディーなジャズアレンジ。

やはり才能のある人間は世に出るものだ。

 

 

そんな藤井くんのアルバムをBGMに、ケンヂ君が語りだした。

 

「僕の好きなミュージシャンで、さかいゆう君ているんですけど、藤井くんに比べるとビジュアルがね・・」

 

私はスマホでその名前を調べた。

 

さかいゆう、キャッチコピーは「涙をいざなうシルキー・ヴォイス」(デビュー前は「天才スウィート・ボイスの珍獣」)との異名を持つ、シンガーソングライター。

 

「やっぱ、見た目って大事なのかなって思っちゃう。

僕はすごく推してる人なんだけど、いまいち出てこないんですよ」

 

ネットの画像で見るさかいくんは、黒縁メガネをかけた、ややふっくらした青年。

たしかに、美青年とかイケメンとかのカテゴリーではないかもしれない。

ただ、とても好感を持てる男性だ。

 

ケンヂ君は早速、さかいくんのアルバムに切り替えた。

 

流れてきたのは、透明感のあるハイトーンボイス。

藤井くんが醸し出すムーディーさとは一味違う、リズミカルで中毒性のある曲。

ボーカルが主張しすぎない、場を引き立てるような安定感。

かつてのピチカートファイブを彷彿させるメロディアスな曲調だった。

 

 

さかいくんの曲を聴きながら、私はケンヂ君に言った。

 

「私、ヒットメーカーって好きじゃない。

自分だけが知ってる良さ、みたいなもののほうが、私は好き」

 

あぁ、それわかります、とケンヂ君。

 

「どれもメガヒットじゃないけれど、でもどれも耳ざわりの良い曲、どこか懐かしい曲、そういう存在のあり方も必要だと思う」

 

さかいくんの曲の良さ、美しさは、他のだれかと比べるものではない。

そんなさかいくんの、ピュアな曲調に惚れたケンヂ君の人柄までもが垣間見える。

 

 

結局、世の中で「売れるもの」というのは、単なる偶然の可能性もあるし、完璧な実力の場合もある。

 

だがどれも「時の運」なくしてヒットは生まれない

 

ものの良し悪しを決めるのは個々の感性であり、売れたから良いもの、売れなかったから悪いもの、ではない。

とくにアーティスティックな分野における評価は、個人の好みに左右される部分が大きいゆえ、「良い」「悪い」という区別は馴染まない。

 

 

先週、とある駅の構内にストリートピアノが置かれていた。

その日が初日だったようで、朝からイベント続きの模様。

 

ピアニスト(もしくはピアノの先生か、ピアノを習っている人)たちがこぞって、そのストリートピアノを演奏していた。

 

一緒にいた友人が、

 

「なにか弾いてよ」

 

と私を焚きつけた。

順番待ちが続きそうだったので、ちょうど切れ目があれば弾いてもいいかなと思っていたが、やはり順番待ちは続いた。

そのうち、私たちの移動の時刻が迫ってきたため、ピアノを弾くことは断念した。

 

 

もしあの時、私に順番が回ってきたら、弾く曲は決めていた。

 

 

他のピアニストたちは楽譜持参、緊張した面持ちでミスなく演奏することに没頭していた。

一心不乱に楽譜をにらみ、精一杯の完璧な演奏を披露した。

 

私は、自分の出番があったなら「きらきら星」を弾こうと決めていた。

「きらきら星」はモーツァルトが変奏曲として世に広めたが、あれとは全く違うアレンジをその場で考え弾いてやろうと思っていた。

 

もしかすると、ピアノを知っているひとなら、

 

「あれ、このひと間違えて弾いてる?」

 

と思うかもしれない。

 

でもそれでいい。

なんだそれ?というような、二度と誰にも弾けない演奏のほうが、私にとっては価値のある演奏だから。

 

滅茶苦茶な演奏でクラシックを冒涜しつつも、斬新でソウルフルなきらきら星を、天国のモーツァルトへ送ってやろうと。

 

 

しかし残念ながら、私の出番は来なかった。

 

 

音楽の良さ、って言葉で表現することが難しい。

語彙力の乏しさもあるだろうが、心の琴線に触れる演奏、というものは、やはり体験する以外に実感することは難しい。

 

藤井くんは今後、間違いなく売れるだろう。

さかいくんは今後、どうなるのかは分からない。

 

でも、それが二人のミュージシャンとしての唯一の進路ではないはずだ。

売れるために歌うのか、歌いたい歌を歌うのか。

その結果、売れなかった場合に「プロ失格」と言われるのだろうか。

 

ピアノも同じだ。

感動させるために弾くのか、心を込めて弾いた演奏に感動するのか。

 

いま、この時代に受け入れられなかったとしても、次の時代でミリオンヒットとなるかもしれない。

売れることだけがベンチマークではないところが、音楽や芸術の難しさだろう。

 

素晴らしいから売れるとは限らない。

100年後にその価値が認められるものだって、たくさんあるはず。

 

 

ーーそんなことを考えながら、私は強いライチ臭を放つ白ワインを飲み干した。

 

 

Pocket

3件のコメント

RICAのソウルフルなきらきら星、聴きたいなあ。
私はバッハの次にモーツァルトが好き。
グルダのモーツァルト、いいよね?
モーツァルトを生真面目に几帳面に弾くピアニストには惹かれないわ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です