実家に帰ると毎回にわかに忙しい。それは、父親からのさまざまなオファーに応じなければならないからだ。
「さっそくだが、英語の早口言葉をいくつか調べてほしい」
なぜ今さらそんなものに興味を持ったのかは不明だが、点字によるテキストが存在しないことと、音声データを探すことが困難なことから、人間AIであるわたしを活用しようということだ。
*
全盲の父は好奇心旺盛で、興味を持った出来事はしつこく追及する性質である。もしも目が見えていたら、二次元世界の住人として暗躍していたかもしれない。
とりあえず、どんな早口言葉を知りたいのか尋ねると、「ピーター・パイパー」と「ウッドチャック」とのこと。なんか聞いたことあるようなないような…。
Peter Piper picked a peck of pickled peppers.
A peck of pickled peppers Peter Piper picked.
If Peter Piper picked a peck of pickled peppers,
Where’s the peck of pickled peppers Peter Piper picked?
ピーター・パイパーという主人公と、唐辛子のピクルスの話である。ピとペとパの攻撃のせいで舌が乾燥するではないか。
(わたしが教えるよりも、ネイティブに教わる方がいいだろう)
そう考えたわたしは、外国人ユーチューバーのチャンネルから何本かの動画を視聴させた後に、わたしが一文ずつ繰り返し読み聞かせる方法を試みた。
すると、父が予想していた単語と実際のものとが違うとか、冠詞の有無など細かい部分で齟齬が出た。
わたしからすると、
「こんなの早口言葉なんだから、意味を理解するよりリズムで覚えたほうがいいのに」
という感じなのだが、父からするとちょっと違うらしい。
「意味を正しく覚えておかないと、後で思い出すのが難しくなるから」
とのこと。これを聞いて、わたしは思わず「なるほど!」と頷いてしまった。
目が見えるわたしからすれば、この早口言葉を調べることなど数秒でできる。そして英文を見ながら口にするため、テンポよく歌うように繰り返すことができる。
しかし目が見えない父にとっては、正しい文章で覚えておかなければ曖昧になり、最終的には思い出すことすら困難となるため、正しく暗記することが重要なのだ。
これは実際にやってみるとよくわかる。目が見えるわたしですら、暗記の途中で「あれ?なんだったっけ」となれば、テキストを確認しない限り思い出すことができないわけで。
そしてこの傾向は、「ウッドチャック」のほうが顕著だった。
How much wood would a woodchuck chuck, if a woodchuck could chuck wood?
He would chuck as a wood chuck would if a woodchuck could chuck wood.
ウッドチャックとは、北米に生息する穴掘りが得意なリスのこと。齧歯類なのでカピバラの遠い親戚だと思うと、カピバラマニアとして親近感を抱かずにはいられない。
そして、ウッドチャックは木片を投げるような行動はとらないのだが、早口言葉では「もしもウッドチャックが木片を投げるなら」ということで、ありえない状況が描かれている。
しかし堅物の父は、ウッドチャックが本当に木を投げる動物なのだと思い、一体どういう風に投げるのか?と、別の部分に気を取られ始めた。
そこでまずは、ウッドチャックの生態や特徴を説明し、そのイメージを持った上で「投げない木片を投げたならば」という、架空のおとぎ話みたいなものであることを伝える。
――こうして、ようやく納得がいった父は英文の暗記へと移るのであった。
ウッドチャックの話には、主人公であるWoodchuckと助動詞のWould、そして木片のWoodと放り投げるという意味のChuckが登場する。
確かにややこしいが、意味など気にせずリズムよく歌えば簡単な早口言葉である。
しかし父にとっては、やはり文章を正確に理解することが重要となる。
そのため、何度も同じ部分を繰り返したり、暗記した父の英文の正誤を確かめたりと、地道な作業が続くのだった。
*
じつはこのウッドチャックの途中で、父は音を上げていた。
似たような発音が連続する英語の早口言葉を、頭で理解しようとすれば疲れるのは当然のこと。
そこで休憩がてら、わたしはウッドチャックという動物について調べてみた。
「ほう、モグラみたいな動物か?」
「どのくらい穴が掘れるんだ?」
最初は横になって聞いていた父だが、興味が出てたらしくむくりと起き上がると、次から次へと質問を始めた。
そして、彼の中でウッドチャックという生き物が認識できた途端に、さっきまでさじを投げていた早口言葉がスラスラと言えるようになったのだ。
文字や文章を目で見た瞬間、我々は無意識にその言葉が表すイメージを描いているのだろう。
ウッドチャックが木片を投げる姿を想像すると、あり得ないことだからこそ滑稽で面白い。それゆえに、嫌悪感なく早口言葉が入ってくるのかもしれない。
目が見えるわたしにとって、無意識にイメージできることは「当たり前」である。しかし、目が見えない父にとって、それこそが最も必要な情報なのかもしれない。
これは視覚障害者か否かに限らず、何かが理解できない相手に対して「いかに上手く伝えられるか」のコツでもあるだろう。
相手の脳内にイメージを描かせることができれば、理解を早める起爆剤になるのだと、改めて知ることとなった新年である。
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