おにぎり(おむすび)は、なぜ美味いのだろうか。しかも、大きければ大きいほど美味いわけで、どんなトリックを使っているのだ。
さらに個人的には、三角形よりもまん丸のほうが美味く感じる。
(まるでソフトボールのような塩むすびを、両手でしっかりと支えながら頬張る――)
なんという贅沢!想像しただけでもヨダレが溢れてくる。
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わたしは米や餅が好きだ。
炊きたてほかほかの艶やかな白米も好きだが、加熱後に時間が経って、噛みごたえが増した冷たい餅も好き。
つまりどのような状態であろうが、米や餅が大好きなのである。
そんなわたしの元へ、突如、友人からおにぎりと餃子が届けられた。
事前に、「餃子を焼いたので届ける」と連絡をもらっていたのだが、見たことのない大きさのタッパーを手渡されたときは衝撃が走った。
(まさかこれ全部、餃子?!)
個数にすると30個以上は入っているであろう、ずっしりとした重量感。
餃子は大好物なので、たくさんもらうのは嬉しい。だが果たして、食べきれるのか――。
嬉しい悲鳴をあげながら、さっそくフタをこじ開ける。するとそこには、タッパーの左半分に餃子、右半分に塩むすびがぎっしりと詰まっていた。
まるで天国のような画である。大好物が二種類、ただただギュウギュウ詰めになっているのだから。
しかも、塩むすびの大きいことよ!
ソフトボールよりも一回り小さいかもしれないが、これぞおにぎり!と言わんばかりの存在感を放っている。
(あぁ、本当に塩むすびは美しい。今さらだが、海苔もふりかけも要らない。中身の梅干しも、鮭も明太子も必要ない!)
なぜならば、「味、薄くない?」と心配されがちな、少量の塩で握られたまん丸い塩むすびほど、尊いものはないからだ。
・・ここでふと、この尊いものの「呼び名」について疑問が浮かんだ。
(正式名称は「おにぎり」?それとも「おむすび」?)
ネット検索すると、二つの違いについて意見を述べた記事を発見。そこにはこのように書かれてある。
(中略)「おにぎり」と「おむすび」。人の往来が飛躍的に増えた現代、これら呼び名についての地域偏差は平準化されつつある。現代においては「おにぎりとおむすびの呼び方の違いは、家庭・個人レベルの違いである」というのが、一般社団法人おにぎり協会の見解である。
さらに驚きなのは、この記事を掲載しているのが一般社団法人おにぎり協会という、おにぎりに特化した団体ということだ。
おにぎり協会は、おにぎりの良さを国内外に発信・普及させ、日本の実質的な食文化を理解してもらうべく活動を行っているのだそう。
そして、非常にセンシティブな部分ではあるが、「おにぎり協会」と宣言している以上、やはり「おにぎり」という呼び名が気に入っているのだろう。
・・まぁいい。「握る」か「結ぶ」かの違いなわけで、そこは作り手に委ねよう。
わたしとしては、ただただ美味しく食べられればいいのだから。
*
改めて、ギュウギュウ詰めのおにぎりに目をやる。
そういえば、おにぎりだってギュウギュウ握られることで完成する。寿司のシャリがゆるゆるでは、新鮮なネタも活きないのと同じで、おにぎりは手のひらでギュウギュウ詰めにされてなんぼである。
そのギュウギュウ詰めのおにぎりが、さらに何個もギュウギュウ詰めになっているわけで、これが美味くないはずがない。
ついでに餃子もギュウギュウ詰めとくれば、このタッパーは何物にも代えがたい「大好物の宝石箱」あるいは「大好物の満員電車」である。
大は小を兼ねる。「大きい」は正義なのだ。
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