行政協力で、区役所にて年金相談員業務の委嘱を受けたことがある。いわば準公務員の立場で職員らと共に働くため、訪れる区民からすると当然、わたしも「区役所の職員」に見えるわけだ。
年金相談といえば、日本年金機構の窓口の一つである「年金事務所」や「街角の年金相談センター」が思い浮かぶかもしれない。だが、国民年金の中でも、老齢基礎年金のみの受給の場合は、市区町村の国民年金課で相談や手続きを行うことができる。
さらに、老齢基礎年金の基礎となる「第一号被保険者」は、日本に住む20歳以上60歳未満のすべての人を指す。ただし、会社員や公務員など企業で社会保険(厚生年金)に加入している人は除くので、たとえば学生やフリーランス、法人格を持たない個人事業主、無職などがこれに該当する。
そして、会社を退職して次の入社までに期間がある場合や、法人格を持たずに自営業を行う場合などは、住民登録地の市区町村で国民年金加入の手続きを行わなければならない。
さすがにここ最近では、
「前の会社がやってくれると思ってた」
などという、子どもじみたセリフを吐く離職者はいないだろうが、10年前はまだ、そんな他力本願が大勢いた。
(そもそも日本人は、学校教育で教えるべき社会保障や税制度というものについて、一切触れることなく大人になる。それでいて急に社会へ放り出されても、知りようがないのは当然だ。つまり学校教育が間違っているのだが。)
そんなある日、年金相談員として席に着くわたしの前に、一人の区議が老女を連れて現れた。所得の低い区民に寄りそう「某党」である。選挙前になると必ず、こういった迷える区民を連れてくる。
区役所の職員は区議会議員とのつながりもあるため、どこの党の区議であっても丁重な扱いをする。だがわたしは、立場上は職員側にいるにせよ、区議に対して特別な対応をしようという気は起きない。
そんなわたしに対して区議は、
「ちょっとこの方の年金について、相談に乗ってあげてほしいの」
と話しかけてきた。そして、
「もらえるはずなのに、もらえてないらしいのよ」
と続けた。
この手の入り方ほど危険な話はない。年齢が65歳に到達しており、かつ、年金事務所で相談をしたにもかかわらず年金が受給できない場合、それは得てして年金はもらえない。なぜなら、納付要件が足りていないからだ。
過去の納付について思い出そうにも、40年前の記憶が鮮明に残っている人間は少ない。しかもその当時の納付を証明しろと言われても、現代と違って何らかのデータが残っている可能性などほぼ皆無。
そして人間たるもの、過去を思い出すうちに思い出が美化される傾向にある。「あの頃は良かった」に始まり、「国民年金の保険料も納めていたはずだ」という結論に至る。そしていつしか「納めていたはず」が「納めていた」に変わるのだ。
(マインドコントロールって、こういうことなんだろうなと思ったりもする。)
区議から紹介を受けた老女がオロオロするのを見て、わたしは彼女に着席を促す。するとその時、区議はすかさずこう言ったのだ。
「よかったわね。これであなたもきっと年金がもらえるわよ」
老女に椅子を勧めると、そそくさとその場を後にする区議。わたしは立ち上がると区議の後を追い、進路に割り込んでこう言った。
「政治家なら、無責任なこと言わないでください」
年金受給が叶わず生活に困る区民の相談に乗り、適切なアドバイスを受けるべくしかるべき部署へと案内するのは、区議としてあるべき姿であり評価できる。
しかし年金受給は厳格なルール、つまり「納付要件」が存在するため、本人の申し出だけではどうにもならない場合が多いのだ。それを、年金相談員につないだからと言って、「これできっと年金がもらえる」などという言葉を軽々しく口にするべきではない。
誰かを安心させる手段として、「願いが叶う」ということを安易に他人が口にするのは間違っている。その瞬間は希望が見えるかもしれないが、現実はそんなに甘くはない。持ち上げるだけ持ち上げて、落とされた時の責任は誰がとるのか。
無論、その道への一歩踏み出したのは本人の意思である。だが、知識のない者や自身の分析ができていない者に対して、無責任に「絶対できる」などとそそのかすのは、詐欺に近い暗示ともいえる。
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とある駅前で行われていた選挙演説を聞きながら、「票稼ぎのために区民を使うのならば、最低限の知識を身に着けておくべきだ」と苛立った過去を思い出した。
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