(チッ、しみる)
シャワーの湯が、オレのくるぶしのちょっと前にある擦り傷にかかった。擦り傷ってやつは、どうしてこうも沁みるんだ。切り傷は一瞬、ツキンと刺すような痛みで終わる。だが擦り傷はジンジンと広範囲にわたって痛み続ける。
擦り傷のある左足を湯の外に出しながら頭を洗う。オレはこういう鈍痛は苦手なんだ、さっさと出よう。シャンプーを流そうとすると、髪の毛から垂れた泡が傷口に触れた。
(ギャッ!しみるじゃねぇか!!)
バスタブで地団太踏みながら、急いで全身を流すと風呂から逃げ出た。
擦り傷は小さい。血が出ているわけでも、深くえぐれているわけいるわけでもない。だがこいつは地味に存在感を放ち続ける、陰湿で内向的な嫌われ者のようだ。
あぐらをかけば、くるぶしと床がこすれて痛みが生じる。椅子に座って足を組んでも、逆側のかかとととくるぶしがぶつかって傷に当たる。靴下を履いても、ベッドで横になっても、オレのくるぶしは微妙に何かに触れるため、ちょっとでも動けばジンジンと痛みを感じるのだ。
(クソッ、こんなかすり傷に手こずらされるとは情けねぇ)
こんな小さなことにも翻弄されるのが人間というもの。地味に沁みるこの痛みこそが、生きている証。オロナインを塗ってやり過ごすことにしよう。
オロナイン軟膏は、大塚製薬の代表作ともいえる家庭用常備薬。擦り傷にオロナインを塗っておけば、傷を消毒し化膿を防いでくれるという優れもの。
とはいえ、オレがこの万能薬を知ったのはつい最近のこと。友人がカバンにオロナイン軟膏を入れており、指のささくれにこれが効くんだと教えてくれたことがきっかけだった。
オロナインという名前を聞いたことはあるが、それがどんなものかを知らないオレは、てっきりユースキンの親戚だと思っていた。つまり、ひびやあかぎれに効果のあるクリームか何かだと。だが、まさかの切り傷や擦り傷、さらにニキビや吹出物、そしてやけどにも効くとあり、かなり驚いた。
チューブから軟膏を絞り出すと、中指にこすりつける。そしてくるぶしのちょっと前にある擦り傷にちょんちょんと塗り込むように、いや、何度も何度も重ねるように、丁寧にオロナインを塗布した。
軟膏とクリームの大きな違いは水分の有無。ベタベタする軟膏には水が含まれておらず、油性基材でできている。それに比べてクリームは水と油が混じっており、のびがよくさらっとなめらか。汗で流れにくい軟膏は、患部にとどまり皮膚を保護する反面、ベタベタが衣服に付着するというデメリットがある。
(絆創膏でも貼っとくか)
とりあえずべたつきを抑えるべく、絆創膏で保護をすることにした。
しかしオレがガキの頃は、擦り傷ができたらマキロンで消毒をし、絆創膏を貼ったり患部を乾燥させたりするのが常識だった。ところが今は傷口を消毒なんてしないらしい。水で洗い流すとラップを巻いて、湿った状態を保つ「湿潤療法」ってやつが主流だと聞く。
時代の流れは恐ろしい。昨日までの常識が今日は非常識になる。そのときそのとき、時代によって正解は不正解にもなるのだから。
絆創膏を貼り終えると、オレはさっさと布団にもぐり寝息を立て始めた。
(・・・かゆい)
夢か現実か分からないが、くるぶしのちょっと前がかゆい。なるべく姿勢は変えたくないので、体を丸めてポリポリと傷口の周辺を掻いた。
擦り傷は切り傷に比べて範囲が広い。バリバリ掻きむしりたいが、誤って傷口を引っ掻いたら厄介だ。慎重に、撫でるように、だが指先に力を込めて砂に文字を書くように擦り傷の周辺をなぞる。
そんなことを繰り返すうちに、オレはいつしか眠りに落ちていた。
(ぐっ、やってしまった!)
翌朝、細長く丸まった絆創膏の残骸が敷布団の上に転がっていた。そしてくるぶしのちょっと前から血がにじんでいる。
そうだ。寝てる間にオレは、無意識に傷を掻きむしったのだ。おかげで絆創膏は剥がれ落ち、かさぶたまでをも削ぎ落としてしまった。あぁ、またもや振り出しに戻ったのだ。
――チッ。これだから擦り傷ってやつは嫌われるんだ。
(了)
コメントを残す