侵攻の悲劇  URABE/著

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目の前で、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の議論が交わされている。そんな話題をBGMに、わたしはとある焼け野原の過去を想像していた。

その土地は当時、持ち前の肥沃な土壌から多くの穀物が育ち、草木が生い茂る自然豊かな場所だった。実際に訪れたわけではないのであくまでも想像になるが、そこで暮らす人々は豊かな恵みを受け、不自由することなく平和に暮らしていただろう。

 

だがいつの時代でも、愚かな人間は己の欲のために対立し争いが勃発する。そしてその犠牲者は女子供や一般市民にとどまらず、自然界で生きる動植物たちへも被害を及ぼすことになる。

たとえば資源採掘のために山を切り拓いたり、リゾート開発のために海岸や高原を商業施設で埋め尽くしたり、声なき声を上げる大自然の悲痛な叫びに耳を傾けようとはしない。

 

時が経ち、気がつけばそこは見るも無惨な荒野となっている。人間のエゴにより、命を奪われた生き物、土地、そして地球がそこにある。

記憶に新しいところでは、福島第一原発周辺地域の土壌汚染が思い浮かぶ。事故から10年が経過した昨年、居住制限区域に関しては全て解除となったが、帰宅困難区域に関しては未だ制限が続いている。

過去にはチェルノブイリ原発事故もあった。プラントから30キロ以内の住民は土地を追われ、原発周辺はゴーストタウンと化した。事故から36年経った今でも、原発から50キロ東に作られた「避難民の町・スラブチッチ」で、除染作業や原発関連の仕事に就く、従業員とその家族らが暮らすにとどまる。

 

高度経済成長とともに電気の需要は増大し、暮らしのすべてを電化しようとする動きすらみえる。個人的には、必要に応じて適切なエネルギーを選択するべきだと思っているが、世の中の大きな流れには逆らえないわけで、甘んじて受け入れるしかない。

しかし沈黙を続ける自然界から見たら、我々人間たちのこの暴挙はどのように写っているだろうか。原発の話でいくと、皮肉にも自然界に存在する星であるプルート(冥王星)から名づけられた、自然界にはほぼ存在しない元素であるプルトニウムが、人間のみならず地球全体を汚染する可能性を秘めているわけで。

 

まぁこれらの話は少し極端な例ではあるが、かつて緑豊かで潤っていた大地が、今では茶色の地肌がむき出しの荒れ地となった姿を見るのは、他人である私の胸が痛む。なぜなら、大地に罪はないからだ。

地中深くまで立派な根を張り、雄々しくもみずみずしい樹木がそびえ、未来永劫この景色が続くであろうと思われた、若かりし日々――。

 

そう、わたしは今、かつては木々が生い茂っていたであろう「前頭部」を見比べているのだ。オッサンとの対面による会議の最中に注目する箇所など、生え際以外にあるわけがない。しかも今日は、よりによってさまざまなレパートリーが揃っている。

女子としては羨ましくもある、あの艶やかできめ細かなおでこ。あぁ、わたしもあんな見事な輝きがほしい。そして側頭部やもみあげの具合いからするに、かつてはかなりの剛毛で覆われていたであろう前頭部が、まるでレーザー脱毛を繰り返しポヨポヨになったムダ毛のように、柔らかく手触りのいい羽毛に変化している。

その隣りの惑星、もとい、頭部には大海原の真ん中に離島が存在するではないか。年々、離島周辺の水位が上昇した結果、島の面積が減少傾向にある模様。おそらく大陸のほうも陸地面積は減っているだろうから、大航海時代の到来といったところか。

 

――そんな中年二人が、ウクライナ侵攻についてああでもないこうでもないと議論を続けている。その姿を見ながらわたしは、別の意味での「侵攻」に気を揉んでいるわけだ。

 

(了)

 

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