朝から車を走らせて、気がつけばもう夕方の5時。私はようやく兵庫県にたどり着いた。
目的地まではあと10キロ程度だが、先ほどから街の雰囲気がガラリと変わったことに胸騒ぎがする。なぜそんな僅かな変化を見逃さなかったのか?…それは、私の目が肥えているからに他ならない。
人は私をシロガネーゼと呼ぶ。見るからに下品で輩(やから)感満載だとしても、住民票上は白金地区の住人なのだから文句のつけようがない。
白金には、シロガネーゼと呼ばれるマダムが確かに存在する。朝といってもそれほど早くもないブランチの頃、気怠い表情を浮かべつつ、ジェラート・ピケのルームウェアに身を包み、丸い球のようにカットされたトイプードルを抱きながら、タワーマンション敷地内の公園でヒマを持て余す姿を、しょっちゅう目撃する。あれこそが、世間一般が想像する「シロガネーゼ」というやつだろう。
だが実は、シロガネーゼは白金には住んでいない。なにを隠そう「白金台」に住んでいるのが、本物のシロガネーゼという人種なのだ。
白金と白金台は、徘徊すれば分かるがまるで雰囲気が違う。白金に住む私からすると白金台エリアに足を踏み入れた瞬間、敗北感の3文字が脳天を直撃する。そもそも白金はマンションが多く、一軒家といっても2階建てもしくは3階建てが主流。敷地面積は狭く、場所が白金でなければごく普通の住宅地でしかない。
ところがお隣の白金台は、そのほとんどが一軒家で豪邸ぞろい。朝は黒塗りの外車がずらりと並び、ご子息の通学の送迎待ちをしている。邸宅の多くは庭付きの美術館または城のようなつくりで、中には表札を掲げていない家もある。
そんな「自宅を一周回るのに、いったい何分かかるんだ!」と、突っ込みたくなるような家々が軒を連ねているのだ。
閑静な高級住宅街、という表記を使用してもいいのは白金台だけだろう。すれ違う車は艶やかな輝きを放つ外車かハイヤーばかりで、リムジンの多さにも目を見張るものがある。さらに、道路から垣間見える庭木は見事に手入れがされており、松はかならず美しい楕円を保っている。
カネがあるとかないとか、そんな下世話な興味はここには存在しない。それどころか「カネ」などという通俗的な概念を、そもそも持ち合わせていないのだろう。そうとしか思えないほどに上品で高貴なマダムの横顔を、通り過ぎたベンツの後部座席に確認するのであった。
本物のシロガネーゼになれなかった、似非(えせ)シロガネーゼのなかでも、さらに底辺にしがみついているのがこの私。つまり私は、最下層からシロガネーゼを支えている「縁の下の力持ち」なのだ。
――そんな私が胸騒ぎを覚えた街並み、それこそが「芦屋」だった。芦屋といえばアシヤレーヌ。シロガネーゼに対抗してつくられた造語に、冷笑を浮かべる地元民も多いだろう。
しかし日本の現状として、白金に対抗できる唯一のエリアが芦屋であり、その象徴がアシヤレーヌなのだ。
そんな芦屋の中でも、高級住宅街として一目置かれる存在であろう、六麓荘町や山手町の辺りを突っ切っていた私。この嫌悪感にも似た憧れは、白金台で感じたアレとそっくりだ。
この辺りに聳(そび)える家々が豪邸であることは言うまでもないが、道路や街路樹の整備が行き届いていることにも驚きを隠せない。さらに信号待ちをする小学生の制服は、深みのある赤紫色、いや、ラセットブラウンでまとめられた上品なワンピースで、ハードカバーの単行本を小さな手で支えながら一心不乱に読み耽っているではないか。
多くの鼻たれクソガキが、ニンテンドースイッチに夢中になっている姿と比べると、まさに月とスッポン。同じ小学生とは思えないほどの尊さを感じずにはいられない。
(あぁ、これこそが正真正銘のお嬢様の街、芦屋というやつか)
放心状態になりつつも車を走らせていると、突如、懐かしさを覚える街並みに切り替わった。さっきまで美しく咲きほこっていた桜の街路樹は消え、やせ細った枯れ木に早変わり。そして一軒一軒の敷地面積も明らかに狭くなった。
その理由を確認すべくナビに目をやると、予想通りの答えが飛び込んできた。
――芦屋市がおわって、西宮市に入ったんだ。
サムネイル by 希鳳
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