「何々っぽい」という言い方があるが、あれはやはりそういう傾向にあるからこそ、そのようなカテゴライズがされるのだろう。血液型などなんの根拠もないし、非科学的にもほどがあるわけだが、それでも得てしてB型の人はなぜか「B型っぽい」といわれる何かがあるわけで。
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後輩に劇団員の男がいる。劇団といっても社会人サークルのような小さなグループで、すべて手作りの人間味あふれる舞台をたまに披露してくれる。そんな後輩は、礼儀正しく見た目も整った好青年だが、それは黙ってじっとしていればの話。一言口を開くと、あるいは身動きをとると、
「キミ、劇団の人だよね?」
と必ずバレるであろう「何か」を持っている。
念のため、真の意味でディスってなどいないことを了承願いたい。ディスることができる=愛着がある、または興味がある証拠であり、嫌いなものならば口にすることも文字に表すこともないからだ。
その前提で、世間一般的な劇団員のイメージといったら「ウザい」の3文字を筆頭に、「貧乏」「奇妙」「ヤバい」などが続く。単語で見ると決して褒められた表現ではないが、それでも劇団で活動する人たちは独特の何かを持っているし、カネ儲けなど度外視で演劇に打ち込む姿に心打たれるものがある。
無論、後輩もその流れをパーフェクトに受け継いでいる。
後輩が劇団員であることを知らない友人にその正体を明かしたところ、
「だからいつもあんなに声張ってるんだ!」
と納得の表情。すると後輩は得意げな顔でこう言い放った。
「ちがいます。劇団員だから声を張ってるんじゃなくて、声が張れるからこそ劇団員なんです!」
まぁどちらでもいい。我々一般人からしたら、声を張るポテンシャルが高くて劇団員になろうが、劇団員になった結果声を張れるようになろうが、どちらでもいいしどうでもいい。さらに後輩は、
「僕は声出しなんてやりませんからね。他のメンバーの練習中は寝てますからね」
と、謎の自慢を始めた。
(・・・ウザい)
そうそう、これこそが劇団員ぽい所以だ。いや、実際に劇団員なのだからこれでいい。むしろこうでなければならない。
さらに後輩は動作も奇妙でウザい。育ちの良いお坊ちゃまの友人が軽蔑のまなざしを向けるほど、凡人離れした劇団員ぽい動きを見せつけてくれる。
たとえばブリッジだ。誰も頼んでいないのに、暇があるとすぐにブリッジを見せつける癖がある。もちろんそのブリッジは高さがあり、素晴らしいアーチを描いているのだが、
「すごいね!」
と言われることが前提で、あえて人目に触れるようにブリッジを始めるあたりがウザい。まだブリッジが珍しかった当時は誰もが称賛したが、2~3回もすれば見飽きてしまい誰も褒めなくなる。それでも後輩はこれ見よがしに、渾身のブリッジを披露するのだ。
「・・・・」
シーンと静まり返った冷ややかな時間が流れる。こんなことができるのも、強心臓の持ち主である劇団員だからだろう。
さらに劇団員たるもの、貧乏でなければならない。その点、後輩はバッチリクリアしている。なんせ洗濯物を干す場所が、隣りの敷地の駐車場のフェンスなのだから!
「部屋だと乾かないんですよねー」
それにしたって、23区内で道路沿いのフェンスにパンツやタオルを堂々と干せる成人はなかなかいない。しかもその状況を誇らしげに自慢するあたりが、これまた劇団員ぽいではないか。
極めつけは彼の住むアパートだ。シェアハウスのような場所で、彼以外はほぼ外国人。国籍は聞いていないがその話から我々は、
「ビザ切れのアジア系外国人だろう」
とリアルなイメージを膨らませていた。とはいえ勝手な妄想なので悪しからず。
とにかく何をしてもウザい後輩だが、彼のような存在があるからこそ「劇団員」というブランドが確立する。スマートでノーブル、オシャレで金持ちでは劇団員を名乗れない。築50年、風呂なしトイレ共同の平屋に住み、ペヤングがごちそうだと目を輝かせてこそ、劇団員の鏡だ。
――後輩よ、いつまでも立派な劇団員として活躍を続けてくれ。どうか我々一般人の期待を裏切らぬよう、その地位を守り抜いてくれ。
サムネイル by 希鳳
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