膝負傷vs酔いどれ

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今日わたしは膝を負傷した。たまには怪我でもしないと、真の意味での「生きている実感」が湧かない。よって、久々の怪我に歓喜しているのである。

右足を引きずりながら、誰よりもノロノロと歩くわたしは迷惑そのもの。すれ違う誰もが迷惑そうな顔をしている。

(フフフ、それでいい)

誰がどれほど迷惑がろうが、わたしには知ったこっちゃない。なぜなら、足を怪我しているのだからどうしようもないのだ。そして、こうやって堂々と通行人の足並みを乱すことができるのも、足の怪我のおかげである。

 

エスカレーターの降り口など、危うくドミノ倒しになりそうだった。エスカレーターからフロアへ降り立った瞬間、一般人はスタスタと歩きはじめる。だが、今のわたしにはそれができない。よって、瞬間的にのろまに変身するため、後ろから降りてきた利用客がわたしに突っ込みそうになるのだ。

見るからに健康体で、さらに大きなリュックまで背負っている。こいつが怪我などするはずもない――。そういうオーラを放つわたしに騙された人間たちが、もうちょっとで背後からわたしに突っ込みそうになるのだ。

それこそ、誤って突っ込んでくれたらラッキーである。花のようにか弱く倒れたわたしは「いたぁい」と泣きながら、治療費をせしめることができるからだ。

・・・結果的に、誰もわたしに突っ込んではくれなかった。

 

そしていよいよ電車である。足を負傷したわたしは優先席に着席する優先権を持っている。いつもは他人の目を恐れコソコソと座っていたが、今日こそは堂々とふんぞり返ることができる。

(いや、待てよ・・)

衣服に血痕が付着していたり、手足がおかしな方向に曲がっていたりするわけでもないので、一見、健康体に見えるわたしが優先席に座っていたら、図々しい奴だと思われかねない。そうだ、怪我をしていることをアピールしなければ――。

 

そこでわたしは、電車に乗り込むと同時に手すりにつかまった。そして大袈裟に右足を引きずりながら、優先席のシートに手を着いた。

このままシートに腰を下ろしてもいいのだが、それではまだアピールが足りていない気がする。電車のドアが開いて中に踏み込んだ客どもは、我先に座席確保に躍起になるはず。となれば、わたしのこの演技を見ていない可能性が高い。

(・・もう少しやっとくか)

今度は優先席のシートに手をつきながら、手前から奥まで足を引きずりつつ進んだ。まるで、スピードスケートの選手がコーナーを曲がるときの姿勢のようだ。

(ここまでやれば大丈夫だろう)

仕上げに「イテテテ・・」と声を上げながら、ドスンと勢いよく腰を下ろした。あぁ、わたしはいま優先席に座っている。怪我人として堂々と優先席を占拠しているのだ。

 

次の駅で老人が乗って来た。そして躊躇することなく優先席に座った。一瞬気まずさを感じたが、今のわたしはここに座る権利がある。堂々としていればいいのだ。

 

・・そして気付くと、わたしはドア横に立っていた。

ダメだ、わたしはいつどんな時でも健康体なのだ。膝が痛くても、立っていることに不便は感じない。わざわざ座る必要などないのだ。

それなのに、ちょっと怪我人モードに浸りたいから優先席に座るなど、慣れないことをするからいけないのだ。むしろ、居心地の悪さで病気になりそうである。

 

最寄り駅につくと、またもやノロノロと足を引きずるわたし。すると、目の前には酔っ払いがいた。そいつが同じような速度でフラフラと歩くせいで、いつまでたっても二人の距離は縮まらない。

いつもならばさっさと追い越すところだが、今日はそれが叶わない。かといって、いつまでも酔っ払いの背中を追うなどわたしのプライドが許さない。いったいどうすれば――。

 

と、ここで奇跡が起きた。

なんと目の前の酔っ払いが、さらにその前をフラついていた酔っ払いにぶつかったのだ。おっとっと、すみません!…となっている隙に、わたしは全力で足を引きずった。

さすがに負傷したてのため、思うように足が動かない。それでも、あの酔っ払いを追い越すことさえできれば、我々の歩くスピードは互角ゆえにリードを保てる。歩け、全力で歩け!!

 

 

膝を怪我したら、競うことなどせずにゆっくりと歩くべきである。丸く腫れた膝を冷やしながら、つくづく後悔するのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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