(定期)眼底検査をした。
6か月ぶりの散瞳(瞳孔を開かせること)だったが、毎回スムーズに開く。
私は、散瞳のスピードが異常に速い。
5分もあればバッチリ開く(通常20分以上)。
左目の網膜裂孔周辺を400発、レーザー光凝固したのは3年前。
主治医(美人)のおかげで、私は一命をとりとめた。
あれから3年が過ぎ、一度は奪われかけた格闘技を続けている。
戦い続けられるのは、主治医(美人)のおかげでしかない。
もし、ほかの眼科医に手術をまかせていたら――
*
友人から、
「とにかくX先生に診てもらってほしい」
と懇願された。
彼女の好意を無下にもできず、セカンドオピニオンとしてX眼科を受診した。
「かなり大きな裂孔がありますね。
将来的に剥離しないとも限らないので、予防も兼ねて硝子体手術をおすすめします」
最悪の提案をされた。
網膜剥離は恐ろしい病気だ。
もし、光を失うことがあったら、私は生きていけるのだろうか――
そんな不安のなか、目に飛び込んできた院内の貼り紙には、
「網膜剥離で失明することはありません!」
という心強いキャッチフレーズが。
網膜剥離の四文字に怖気づく私は、その言葉にすがりつきたくなった。
「硝子体手術のあとは、●●ホテルに宿泊してもらいます。
翌日、検査をしてからの帰宅となります。
硝子体手術をすると、注入したガスにより白内障が進行するので、水晶体を除去して人工レンズを移植します。
人工レンズは単焦点と多焦点があり、いまなら格安で・・・」
そう言いながら、眼内レンズのメニュー表を渡された。
「あと、硝子体手術と白内障手術をした結果、乱視がひどい場合にはレーシックでカバーできますよ」
(・・ほんとなの?そんなにポンポンと手術を重ねて、目は大丈夫なの??)
ーー私は圧倒的な違和感を覚えた。
「どうしますか?今日ならちょうど予約が入っていないので、すぐにオペできますよ」
ーーこれは、医療行為の説明なのか?それとも、商売の説明なのか?
*
X眼科を出ると、すぐ主治医に電話をした。
セカンドオピニオンを受けに来たが、なにかの営業をされた気がする、と伝えた。
主治医(美人)はため息をつきながら、こう言った。
「あなたの眼は私が責任もってやるから、心配しないで」
その後、主治医の元で、網膜レーザー光凝固術を受けた。
拷問のような強烈にまぶしい光を、強制的に見つめさせられる。
目玉は器具で固定され、動かすことも、まばたきすらもできない。
とめどなく涙が流れるが、拭うこともできないので流しっぱなし。
脳みそに突き刺さるような痛さの光を見ながら、パスン、パスン、とレーザーを照射する音だけが聞こえる。
気を失うほどのまぶしさ。
先の見えない不安。
格闘技を奪われるかもしれない絶望。
「終わったよ」
主治医の言葉で我に返った。
まぶしすぎて何も見えない。
しばらく目を閉じ、暗闇に見える閃光を脳で感じていた。
「(レーザーを)400発打ってがっちり固めたから、ここの裂孔はもう大丈夫。
(網膜が)薄くて心配な部分も補強しておいたから」
そう言いながら、照射ホヤホヤの網膜の画像を見せてくれた。
眼も意識も朦朧としているが、美しく揃った無数のドットがなんとなく見える。
ーーそのドットは400個もあるのか
そんなことを考えながら、キレイな円を描く黒点のかたまりを、ぼんやりと眺めた。
(腕のいい医者、とはこういう人のことを言うのだろう)
これまでに見た、網膜レーザー光凝固画像のなかで、このように美しくドットが密集し、整列している瘢痕(はんこん)を見たことがない。
私の命より大切な目を、彼女にあずけて、よかった。
*
医療や法律といった特殊分野で活躍する人たちは、それなりの能力と人格を兼ね備えている。
全ての従事者がそうとは言えないが、活躍している人に限っては、概ね、そう言えるだろう。
これとは別に、手術でも裁判でも、当事者である私たちの「最低限の予習」というものは必要だ。
とくにメスを入れるような手術の場合、覚悟を決めるためにも知っておくべきだ。
選択権は患者にある。
だからこそ、最低限の知識と常識的な判断を身につけなければ、その先で待っているのは、後悔しかない。
主治医(美人)につないでもらったこの網膜。光を失うその日まで大切に、この世の隅から隅まで見尽くしてやるつもりだ。
—————-キリトリ線—————-
Illustrated by 希鳳
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