コツコツ

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人間の意志というものは、結果までをも変えてしまう強い力がある。そうでなければ、毎回このタイミングで「コリッ」を誘発するなど、考えられないからだ――。

 

 

夜、近所のスーパーで紅鮭弁当を購入した。鮭の産地は不明だが、米はあきたこまち。やはり米のブランドが記載されていると、自然とツヤが現れふっくらモチモチの白米に変化していくから不思議だ。

 

肉と魚ならば断然肉派。だがこの鮭は身が詰まっており肉厚、まるで鶏むね肉のようにまるまると太っている。身の中央には極太の骨がみっしりと根を張っており、いかにも健康で勢いのある鮭だったことがうかがえる。そして何よりも、良質な脂のテカリにより自然で美しい紅色を発しているわけで、この機会を逃せば鮭に恨まれかねない。

しかも先日、友人の手作り鮭弁当を食べてから、鮭に対する見方が変わった。変わったというか鮭のランクが確実に上がった。これまで進んで食べようとは思わなかった、鮭をはじめとする魚介類に興味を抱き始めたのだ。

 

このような背景もあり、スーパーで弁当など滅多に買わないわたしが、あきたこまちの紅鮭弁当を手に取った。さらに緑茶のペットボトルを買い物かごに放り込むと、一目散にレジへと向かった。

 

 

天然の鮭には骨がある。しかもこれほど分厚い身を支えるとなれば、立派な骨となるのは想像に難くない。半透明で白色に光る骨はわりと見つけやすいので、目視できる範囲でせっせと取り除く。鮭はさほど小骨は多くないが、油断をすると「コリッ」と奥歯に苛立ちが走るので、できる限り取り除いておきたいところだ。

 

しかしこの紅鮭はよほど大きな個体だったとみえる。何度もいうが骨が立派なのだ。加えて小骨も立派で、割り箸でつまむとスルッと抜けて気持ちがいい。通常だとパサパサした身と骨がくっ付いてしまい、骨だけを取り出したくても身まで無駄にしがち。

ところがこの鮭は豊かな脂をまとっているため、気持ちよく小骨のみをつまみ出すことができるのだった。

 

(そろそろいけるか)

 

いよいよ紅鮭弁当をいただく時が来た。まずはあきたこまちを頬張る。米だけでも新米の粘り気と噛み応えで十分満足できるが、そこへ白ごまのアクセントが効いており新たな食感を与えてくれる。

そしてついに、苦労して骨を除去した紅鮭へと箸を伸ばす。まずは身の切れ目に沿って箸を押し込み、自然に切り離された一口大の鮭を口へと運ぶ。

(うん、美味い)

さすがはクイーンズ伊勢丹、だてに「あきたこまちの紅鮭弁当」を陳列していない。新幹線乗り場やコンビニに並べられている鮭弁当とは、明らかに一線を画している。

 

つづいて少し幅を広めて箸を当てると、チロルチョコほどのサイズに鮭を切り分けた。ふたたび頬張ろうとしたところ、

――コリッ

身の内側に入り込んでいた小骨を噛んだ。たしかにこれほどの大きさともなれば、小骨が混じっていても不思議ではない。

(なぁに、すぐに探し当ててペッとしてやる)

舌の先端を小骨探知機に切り替えて、右奥歯周辺をチロチロ探る。しかし思った以上に身の量が多く、骨どころか歯にすら触れることができない。そこでいったん口の右側に鮭を集め、少しずつ左側へ移しながら小骨をあぶり出すことにした。

 

ところがこれまた大量の紅鮭が右頬に集結したため、少しずつ左側へ移動させることが難しい。しかも小刻みに軽く噛みながら骨をあぶり出しているため、鮭にしみこんだ塩分だけが抽出されてやたらとしょっぱい。

(くそっ、塩を味わってるみたいだ)

魚の身と一緒に味わうからこそ塩味も生きるわけで、塩分とエキスが抜けきった身は、それこそパサパサのおからのような歯ごたえしか残らない。

たった数ミリの小骨のせいで、紅鮭のいいところを逃してたまるか――。

 

わたしは覚悟を決めた。鮭の切り身ごときに踊らされては人間が廃る。小骨とて所詮はカルシウム、この立派な奥歯でかみ砕いてくれよう。

 

おからのように無味でパサパサになった鮭の残骸を口の中央へ戻すと、小骨すらもかみ砕く力で勢いよく咀嚼した。

――コリッ

なんということだ!さっきまであれほど完璧に姿を隠していた小骨が、この一発でいきなり現れるとは!

 

だがまだまだ大量の身が邪魔をして、小骨を単独で取り除くことができない。ふたたび小刻みにハグハグ噛みながら塩分を抽出、身は徐々に姿を消していく。時間にして2~3分が経過しただろうか、頬っぺたを膨らませるほどに占領していた紅鮭はスカスカになっていた。

そしてようやく、憎き小骨が姿を現した。

 

(5ミリ程度のこんな小骨に、食事のペースを乱されるとは…)

 

忌々しい気持ちを抑えながら、ペッと小骨を吐き出す。紅鮭弁当2口目にしてこの洗礼、そして鮭はまだまだたっぷり横たわっている。さらに不思議なことに、この洗礼はその後も繰り返されるのであった。

 

 

まるでわたしの覚悟と連動しているかのように、「かみ砕く!」と決めた時だけ姿を現す鮭の小骨。やはり中途半端な覚悟では、大自然の荒波にもまれながら生き抜いてきた、彼らを超えることは不可能なのかもしれない。

たかが鮭弁当、されど鮭弁当。これからは強い意志を持って咀嚼に臨むつもりだ。

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

 

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