(うん、やっぱりうまい!)
わたしは今、ずんだ餅を食べている。
ずんだ餅ーー。
宮城県を代表する郷土料理の一つ。枝豆をすりつぶし、砂糖で味付けをした緑色の餡を絡めた餅。
ずんだ餅という名前には諸説あり、「甚太という農夫が創作した」という説や、「伊達政宗公が陣太刀の柄で枝豆を砕いた」という説、「豆を打つ音のことを『ずんだ(豆ん打)』と表現した」という説など、さまざまな言い伝えがある。
(参考:農林水産省「うちの郷土料理」)
ご存知の通り、わたしは抹茶が大好きだ。グリーンティーももちろん大好きだ。
そしてこちらもご承知の通り、わたしはモチやだんごといったもち米類が大好きだ。
三度の飯よりモチが好き。
つまり、美しい緑色でできている「ずんだ餅」は、わたしの大好きな要素でできていると言っても過言ではないのだ。
ちょっと待て!ずんだは抹茶ではない。枝豆をすりつぶしてペースト状にしたもののことだ!
まぁ落ち着け。そんな目くじら立てて反論するほどのことでもない。
ただなんとなく、こじつけるのにちょうどいい理屈だと思っただけのことだ。
とその時、自ら不審に思うペースト状の食べ物が脳裏に浮かんだ。
(うぐいすあんは、なぜ食べられないのだろう)
うぐいすあんーー。
青エンドウ(グリーンピース)を茹でたものをすりつぶし、砂糖で味つけした緑色の餡。
なるほど、だからか!これでスッキリした。
わたしの3大不好物は、牡蠣・あんこ・グリンピース。その一つであるグリンピースをすりつぶして作ったものなど、食べられるはずがない。
よって、同じ緑色のペーストであっても、「ずんだ」と「うぐいすあん」では天と地ほどの差があるのだ。
*
しかしずんだ餅はうまい。いくらでも食べられるーー。
とそこへ、玄関のチャイムが鳴った。
「ヤマトですー、クール便のお届けにまいりましたー」
そういえば、友人の紹介で予約していた「特製キムチ」が届く頃だった。
それにしてもさっきスーパーで、ずんだ餅か白米かで迷ったことが悔やまれる。どうせなら両方買えばよかった。そしたら届きたてのキムチを白米で山ほど食えたのにーー。
これは悔しい。まさかのキムチ到着にもかかわらず、白米の用意ができていないのだから。
「米、炊けばいいじゃん」
そんな野暮なことは言うもんじゃない。今すぐ食べたいのだ。
米が炊き上がるまで待つことなど、できないのだ。
わたしは、ビニール袋に詰められた特製キムチをポンとテーブルに置いた。
(うまそうだ)
間違いなくうまいだろう。これを食べずして、友人にお礼など伝えられるはずもない。
ーーそうだ、誠意を示すためにも食べよう。
ビニール袋の結び目をほどくと、わたしはダイレクトに割りばしを突っ込み、白菜キムチをパクパクと食べ始めた。
(うめーーー!!!)
想像どおりのうまさだ。これは白米などなくてもいい。キムチだけで十分うまい。
とはいえ500グラムのキムチを半分ほど食べたところで、ちょっと他のものと一緒に食べてみたい衝動に駆られた。
そうだ、ずんだ餅に巻いて食べてみよう。
そもそもモチはもち米でできているわけで、もち米と言えば白米の親戚だ。
また、ずんだは枝豆をすりつぶしたもので、もとはと言えばシャキシャキ新鮮、ビールのおつまみに最適な野菜である。
ということは、白菜でできているこのキムチと枝豆は、野菜つながりの仲間と言える。
そしてキムチを白米に乗せる代わりに、親戚であるもち米に乗せるだけのことで、大した違いはない。
モグモグ
(なんだこりゃ!予想以上にうまい!!)
白菜キムチを広げ、その上にずんだ餅をセットしたらクルクルと包む。
それをポイッと口へ放り込むと、なんとも不思議な味が。
メインはキムチだ。それは圧倒的なピリ辛キムチの存在感が勝るに決まっている。
しかし噛みごたえといったら断然モチだ。
そしてほのかに感じる、舌にまとわりつく甘ったるさはずんだの底力に違いない。
この相反する三者が奏でるハーモニーに、わたしは夢中になった。
(でもやっぱり、一度は白米で食べておきたいな)
そんなことを考えながらも、あっという間にキムチは胃袋へと消えて行った。
メロンに生ハムだの、酢豚にパイナップルだの、あれらを許容するのならば、「キムチにずんだ餅」もアリだ。
ぜひ一度、お試しあれ。
Illustrated by 希鳳
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