有事狂気

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行きつけの自然派ワインバーは、緊急事態宣言下においても20時以降の営業をつづけていた。

 

マスターに話を聞くと、

「18時に店を開けてもお客さんが入るのは20時前後。だから20時に店を閉めるのは営業していないのと同じなんです」

たしかにその通りだ。バーというものは夜の営業が中心で、20時閉店となればオープンしないも同然。

 

周囲への配慮として20時以降は外部の照明を落とし、看板もしまっている。店内で流れる音楽もボリュームを下げ、入り口のドアをわずかに開けて換気を行う。

カウンターのみの店内は席の間隔を十分に保ち、密にはならないこと必至。

 

さらにこの店に来る客はほぼ一人で、オレンジ色のオーガニックワインをちびちびやりながら、ゆっくりと流れる時を堪能している。

 

「ウチみたいな店がやってないと、困っちゃうひともいるでしょ」

はにかみながら静かに語るマスター。20時以降の営業をせずに協力金を受け取れば、へたすれば通常営業よりも高収入となる。

それでも、ルールを破ってまでも頑なに営業を続けるそのポリシーは、果たして正義といえるのかーー。

 

世の中は未曾有の事態に混乱している。それでも、足並みを揃えてコロナを乗り切ろうと一致団結するなか、個人の勝手な考えで和を乱すことが許されるのだろうか。

 

経営者、ましてや飲食業で酒類提供をする店舗であれば、20時以降の営業自粛は大打撃にほかならない。

コロナ対策を万全にし、顧客らが感染拡大防止の意識を強く持ち、節度ある飲食を楽しむ程度ならばーー。と考える気持ちはわかる。

だいたい、コロナウイルスは夜行性ではないわけで、一律に夜間の外食禁止を敢行するなど正気の沙汰とは思えない。今がある種の「有事」だからこそ、こうなっているのだ。

 

かといって、店主のちっぽけな正義感や安っぽい存在意義を振りかざすことで、火の勢いが弱まりつつある現場の消火活動を邪魔して良いのだろうか。

 

ルールを守る必要性がないならば、この世は崩壊する。個々が幸せに暮らすためにもルールは必要なのだ。そのためには多少の窮屈を我慢してでも、手を取り合って進む覚悟が求められる。

そんなことは幼稚園や小学生でもわかる。そういう教育を施されているからだ。

にもかかわらずいい年したオトナが堂々と悪事を働くなど、どのツラ下げて部下や子どもらに説教をするのか。

 

ーー先日のこと。

普段ならば人気(ひとけ)を感じる21時過ぎ。真っ暗な店内でマスターが一人、片付けをしていた。

「あれ、今日はもうおしまい?」

半開きのドアにもたれかかりながらマスターに話しかける。

「ええ。おまわりさんが来ちゃってね」

 

どうやら誰かに通報された様子。おきて破りの違法営業を見るに見かねた住民か同業者が動いたのだろう。

2月13日に施行された「新型コロナウイルス対策の改正特別措置法」により、知事による時短の命令違反に対して過料を科せるようになった。そのため"自粛警察"らの目はさらに輝きを増したようだ。

 

とは言えこれが本来の正しい姿。一瞬の痛みや苦しみに耐えてこそ、その先の幸せにたどり着ける。

ここまで時短要請に従わなかったマスターへは一円たりとも協力金は支払われず、今後苦境に立たされるだろう。

 

だが、非情かつ他人事で申し訳ないが、「身から出た錆」と言わざるをえない。

マスターには、緊急事態宣言が明けてからの営業で巻き返してもらうしかない。

 

 

以上は、わたしは1ミリもこのように思っちゃいないが、「世論」というやつに沿って綴ってみた。

 

これが本当に「正しいやり方」なのだろうか。

これが本当に「正常な行動」なのだろうか。

 

人間て、こんなもんなんだろうか。

 

 

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