余生

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火曜日は毎週恒例、ピアノレッスンの日だ。

右手の小指の第一関節にヒビが入っていそうな雰囲気のなか、2週間が経過する。

ヒビが入っていてもなんとか、鍵盤を叩ける方法をあみ出しながらやってきたが、上手く弾けない理由が小指のケガではないことに、本日気がついた。

その真理を忘れぬよう、ここにしたためておこう。

 

「上手く弾けない」というのは、自宅のピアノで弾くのと、先生のピアノで弾くのとで、出来映えが違うという意味。

 

ある程度まで仕上げた曲を自信満々に引っさげてレッスンへ行くのだが、毎度、なんとも表現し難い違和感の演奏しかできない。

弾き始めて数秒後、だるま落としで積み木をスコーンと叩かれたような、してやられた感に襲われる。

音を間違えるとか、スピードが違うとか、そういう物理的な違和感ではない、本当に「なんとも言えない違和感」なのだ。

 

1年以上レッスンを続けてきたが、昨日までに結論付けていた違和感の原因は、

・自宅のピアノはアップライト(長方形のスタンドピアノ)、先生のピアノはグランドピアノという違い

・先生のピアノには消音装置(フェルトでできたベルト)が噛ませてあり、音がこもって聞こえる

・ピアノ椅子の高さ調整が微妙にちがう

といった点で片付けていた。

 

しかし今日、これらすべてが関係ないことに気がついた。

 

先に結論を言うと、「楽譜を置く位置」の違いだった。

アップライトピアノの場合、鍵盤の蓋を開けるとそこに楽譜を置くところ(譜面台)がくっ付いている。

なので楽譜を見下ろす形でピアノを弾くことになる

しかしグランドピアノの場合、ピアノの上に譜面台があるため、目線と同じ高さに楽譜を置いて弾く

 

この違い、大したことないと思われるだろうが、私の中ではかなりの違いだった。

 

分析するに、

自宅で弾いているときは視界下部に鍵盤が必然的に入るため、鍵盤を見ずして半分見ている状態となる。

しかしレッスンでは目線が上がるため、視界下部に入る鍵盤の範囲がかなり狭くなる。

そのため、普段は見えている鍵盤への安心感が消え、焦りが生じる。

結果として、なぜか微妙に上手く弾けない、ということにつながっていたのではないか。

 

たかが視線の角度だが、無意識に認知している視界のすみっこでの出来事が、結果として大きな違いを生みだしていた。

 

これに気付いた私は早速、ピアノにくっ付いている譜面台ではなく、目線の高さに楽譜がくるよう上から吊るしてみた。

(うむ、こんな感じだ)

これならレッスンと同じ感覚がある。

高さにすると30センチほど、それなりに違いの出る距離差ではあるが、まさか楽譜を置く位置の違いでここまで違和感を覚えるとは思わなかった。

 

 

レッスンは週一回、一時間。

しかし自宅での練習はその何十倍も繰り返すわけで、勝手に体にしみ込む「慣れ」のようなものがある。

それがある種「最適化されたピアノの弾き方」となり、肝心のレッスン時は弾きにくい弾き方で弾かなければならない。

かつ、そこでベストな演奏を披露しなければ次へ進めない。

 

ーー暗譜しかない

 

そうだ、楽譜を見るから視角(視野)の問題が生じるのだ。

だったらさっさと暗譜して楽譜など見ずに弾けば、同じシチュエーションの再現が可能。

とはいうものの、ミスや抜けが怖いから、その不安を払拭するために楽譜にすがりつく私。

 

(昔はこんなこと、なかったよな)

 

あの当時は楽譜を見た瞬間、頭にインプットされ、目の前に楽譜があってもそこに意識はなかった。

楽譜の奥というか、ずっと先のほうを見ていた。

 

脳内に楽譜が浮かんでくる、ということではないが、ただ、もう一つどこかで楽譜が開かれている様子が見えていた。

だから、不安など一ミリも感じなかった。

 

あの頃には戻れない。

今ここにいるのは、見るも無残に衰えた私しかいない。

 

だとしたら、

能力が劣る状態でどこまで取り繕えるのか、どこまで背伸びができるのか、方向性を切り替えるしかないだろう。

 

犬が「お手」をすれば褒められる。

劣化した私がそこそこにピアノを弾いたならば、多少の称賛に値するはず。

 

落ちぶれてゴミとなる自分など見たくもないわけで、それなら犬の「お手」でいい、新たな挑戦として歩き出すほうがまだマジだ。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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