(やっぱり柿は、食べ応えがあるからいいんだよな・・)
今シーズン初となる柿に噛りつきながら、いよいよ秋の到来を肌で・・いや、舌で感じるわたしは、他にもナシ、プラム、クイーンルージュ(シャインマスカットの赤い版)青りんご、キウイフルーツ、カットスイカ、カットパインなど、そのまま食べられる果物を貪り食っていた。
調理器具の乏しい我が家では、ハッキリ言って電子レンジ以外役に立つ道具は存在しない。そのため、皮ごと食べられる果物や野菜は、躊躇なく丸ごと食すのだ。
ちなみに、皮ごと「食べられる」というのは、読んで字のごとく「人間が消化できる」という意味で、具体的には「柿やキウイの皮は剥いて食べる」というお上品な人種とは異なり、わたしは皮ごと丸のみするのである。
よって、本日のラインナップにおいて可食部外というのは、柿・ナシ・リンゴのヘタやブドウの茎、あとはプラムの種くらい・・おっと、カットスイカの容器も食べられないので、こちらも”無駄にかさばるゴミ”となるのが残念なところ——。
そんな大好物に囲まれてご満悦なディナーを終えたわたしは、ふと友人の言葉を思い出した。つい先日のこと、自身の得意料理について熱弁をふるうわたしに向かって、彼女が言い放ったセリフが衝撃的だったのだ。
「え?それは料理じゃなくて準備でしょ・・・」
わたしの料理話を聞いた友人が、驚きつつも呆れ顔でこう述べたわけだが、その発言を聞いたわたしが、逆に衝撃を受け言葉を失った。
(なにを言ってるんだ?わたしの得意料理を侮辱する気か——?)
では、いったいどのような得意料理かというと、アメリカにて自炊をした際に、極太のキュウリ2本の上に大量のヨーグルトと黒蜜(正確には、特殊なはちみつ)をかけて作った、「特製・ヨーグルトキュウリボウル」のことだ。
この料理の素晴らしいところは、「スプーンが不要」という点である。なぜなら、極太キュウリにヨーグルトを絡めたり、キュウリを斜めに齧って自家製スプーンを作り上げたりと、キュウリをカトラリーとして使いつつも最後は胃袋へ流し込める・・という、まさに一石二鳥の役割を果たすのが特徴。
さらに、言わずと知れた「TKG(卵かけごはん)」も、自信を持って紹介できる得意料理である。用意するものは白米と生卵だけだが、白米はできるだけ古くて冷めたものがいい——そう、ここがポイントなのだ。
なぜなら、炊き立てのホカホカご飯ならば、そのまま食べたほうが美味いに決まっている。だが、冷めて固くなった白米に生気を与え、最高のTKGに生まれ変わらせることができる・・という奇跡を体験できるのも、わたしの料理の醍醐味といえるだろう。
加えて、「コーンフレーク」と「フルーチェ」も、牛乳の分量など量ることなく完璧な状態を作り上げることができるため、わたしの自信作といっても過言ではない。
とくにフルーチェに関しては、好みの固さになるよう自由自在に調節ができるので、これはある意味”天才シェフ”的な要素を持ち合わせているのかも・・と、自画自賛するほど。
そして、これらの得意料理を自慢げに語っていたところ、思わず友人が口にしたのが「それは材料を準備しただけで、料理とは言わない」というものだった。
なお、その時の友人の顔は「これぞ、開いた口が塞がらない」という表情だったが、いやいやそれはこちらのセリフである。わたしの料理を「準備」とは、よくぞまぁぬけぬけと言ってくれたものだ!
——そんなやり取りを思い出しながら、テーブルいっぱいに広げられた果物の数々を丸ごと頬張るわたし。
(準備というのは、こういうことをいうのだ)
そう、こうやって素材を鷲掴みしてそのまま食べるのならば、さすがのわたしも「得意料理」だなんて言わない。だが、ひと手間加えて完成したディッシュは、どう考えても”料理”である。
*
というわけで、「今後はもう少し、料理のレパートリーを増やしてもいいかな」などと考えつつ、食欲の秋の入り口に佇むわたしなのであった。
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