代打トスンパ、再登場である。
「カテゴリがあるんだから、たまには書けよ!」と命令され筆を執ってみたが、ウラベ氏のクレイジーな筆致に割って入るプレッシャーは相当なものだ。
ありふれたいい話を書いたところで場違いな気もするし、彼女以上にクレイジーな体験談など持ち合わせているわけがない。
何を書こうか迷ったが、今回は大阪のある飲み屋街のお話を書きたいと思う。
今里新地という裏大阪
読者の皆さんは、今里新地という繁華街をご存知だろうか。
大阪といえば、やはり梅田近辺の北新地を思い浮かべる人が多いと思う。
キャバクラやラウンジには若くきれいなお姉ちゃんが溢れ、そこに繰り出す同伴などお金持ちを相手にした料理店も多く、敷居が高い店も多い。
それよりもお手軽が好みであれば、あるいは比較的若い世代は難波近辺の、いわゆるミナミで遊ぶ。
グリコの看板でおなじみの、観光客に人気のスポットだ。
いい意味で猥雑とした町並みであり、大阪の”お約束”でできており、私は50歳近くなった今でもミナミの方が居心地がいい。
そしてそれとは別に、観光客は愚か、大阪人でも余り足を運ばないのが、今回のお話の舞台となる今里新地である。
所在しているのは、大阪の中でも特にディープな街で知られる生野区。
住民票ベースの人口でも、住民の1/4が在日韓国・朝鮮人なだけにまさにナチュラルコリアタウンだ。
そのため、今里新地というのはそのまま、在日韓国人の女性が経営している店が立ち並ぶ飲み屋街なのである。
そのようなディープな飲み屋街に、私が週1で出入りしてたのは、もう15年ほども前になる30代前半だった頃。
大阪の某中小企業で取締役をしていたのだが、そこのトップが無類の韓国好きで、毎週のように今里新地に行っては、韓国人のお姉ちゃんとイチャイチャしないと気が済まないというオッサンであった。
ただ、毎週のように(今里)新地に飲みに行くのはさすがに奥さんにマズイということで、
「トスンパ取締役と、仕事の打ち合わせに行く」
などと言って私を誘い、韓国人の若いお姉ちゃんで溢れているラウンジに行くのである。
そんなことで、普通の日本人ならほとんど行くことがないであろう今里新地のラウンジに、私は数え切れないくらい通い詰めた。
もっとも、オッサン(社長)のお供ではあるが。
「結婚してますか?」
そしてこの今里新地。
チーママもママも韓国人だが、従業員も全て韓国人だ。
さらに従業員の女性は、そのほとんどが◯◯ビザである。
※一般論ではありません。あくまでも15年ほど前の昔話で、そのお店限定のお話です。
そんなこともあり、初めてお話する女性の第一声が、いつもとても変わっていた。
「お客様。はじめまして~お疲れさまです。」
「はい、ありがとうございます。トスンパと言います。」
「トスンパですか。良いお名前ですね~。ところでトスンパさんは結婚されていますか?」
「・・・はい?」
「結婚です、marrige!」
私は正直、余り夜のお店に行かない。
キャバクラやラウンジに自分の意志で行くことはまず無いが、それでも何度かキャバクラなどに足を運んだときの経験では、初対面の女の子は
「はじめまして、今日はどちらからですか?」
「お仕事帰りですか?」
「今日は何を食べてきたんですか?」
というような会話から入ることが多かった。
そうか、韓国ではまず、既婚か独身かを聞く文化があるんだな~
などと思っていたらそういうわけでもないようだった。
ある日チーママから、
「気を悪くしないでくださいね。日本に住みたがっている、日本好きの韓国の女の子、多いんです。」
と、そっと耳打ちされた。
なるほど、そういうことか。。
独身と答えたら、エライことになりそうだ。
やべえ、殺される!!
そんなある日のことだ。
その日も、いつもどおり女の子に囲まれ、オッサン(社長)の下品なシモネタトークに苦笑いしながら酒を飲んでいた。
おそらく、時間はまだ20時前くらいだったのではないだろうか。
ラウンジが本格稼働するにはまだ少し早いので、多めの女の子に囲まれ、部屋の隅の大きなボックス席で飲んでいたように記憶している。
すると次の瞬間、ラウンジの正面玄関が乱暴に「バーーーン」と開けられ、
「mkんじごふゅいjこpyhgbのじょぴお!!!!」
などと、どこかのオッサンが、まったく聞き取れない何かを叫びながら飛び込んできた。
そしてその叫び声に合わせるかのように、私は周りにいた女の子に顔を押され体を踏まれ、まさに揉みくちゃにされながらお店の床に押し倒された。
「やべえ・・・!!なんか知らんけど殺される!!」
酔いも一気に覚め、瞬間的に体を丸くして体と頭を守った。
とりあえず床に倒れた姿勢で目だけで周囲を窺い、どうすることがベストか、脳をフル回転させた。
その間も、ものすごい勢いで女の子たちがお店の中を走り回るが、どうやら私を殺そうというわけではなく、物陰にある狭い裏口のようなところに、皆が殺到しているようだった。
そして5分もすると、女の子やボーイは皆、どこかに行ってしまい、広いお店にはチーママ、オッサン、私の3人だけになった。
私は床に座り込んだまま、
「なんなんですか・・・?今の??」
と、やっと声を出した。
するとオッサンはおもしろそうに笑い、
「そうか、トスんパくんは初めてかw」
と答えた。
チーママも、
「ゴメンナサイね。女の子たちも悪気があるわけじゃないんです。必死なんですw」
と謝罪した。
その後、詳しく説明を聞くとどうやら先程お店に飛び込んできた人は、近隣の世話役だったそうだ。
そしてその叫び声の内容は、近くのお店にたった今、入管のガサが入ったというようなものだったそうだ。
それを聞くなり、逃げなくてはいけない人たちが一斉に逃げ出し、結果としてお店にはチーママとオッサンと私だけになったという状況だった。
そしてそれから小一時間、女の子もいなくなってしまったので、3人でウイスキーをひとしきり飲むと、よくわからない意味で興奮した一日は終わった。
***
もう15年も前のことなので、今はどうかしらない。
しかし、〇〇ビザで就労することを前提に女の子を採用し、入管のガサ入れがあった時に備えて専用の逃げ道まであるとは、なかなかのリスク管理だ。
韓国では今も昔も、若者の就職は非常に厳しいと聞くので、きっとそういうことなのだろう。
決して褒められたことではないが、他に生きる手段がないのであれば、理解はしないが責めることまではできない。
なぜかふと、今日の代打を任された時に、そんな昔話が頭に浮かんだ。
余談だが、今から13年前の2007年の年末。
食品偽装事件という名の公開リンチの末に、大阪の船場吉兆が自己破産に追い込まれたことを覚えている人は多いかもしれない。
もちろん、お客さんに対し不誠実な商品やサービスを提供することは商売人にもとる行為ではある。
しかしながら、カンバンを食いに来てるわけでもあるまいし、気が付かずにウマイウマイと食べてたのであれば、客の方も相当なバカ舌のマヌケであるとは思う。
逆に言えば、客がマヌケだから料理人や経営者も緊張感を失い、客を舐めるのだろう。
お店が良くなければ良い客は集まらないが、良い客を失うお店もまた、良い店であり続けることはできない。
それはそうとして、その船場吉兆の湯木さん。
破産に追い込まれたあと、一時期は安アパートの一室で内職をしながらなんとか生計を立てていたそうだが、今では大阪の北新地に、「北新地湯木」という高級料亭を構えるまでに復活した。
その後も順調に贔屓筋に支えられ、支店を出すまでに盛り返している。
そしていつだったか、惨めなどん底を這いつくばったことを「良かった」と振り返り述懐している様子を、メディアでお見かけした。
あれほどまでにやらかしてしまい、しかしそれでも心折れず、また這い上がってきた人の作る料理とはどんなものなのか。
是非一度、楽しみたいと思っている。
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