外は快晴で青空が広がっていた。真冬とはいえ、こんないい天気だと寒さも忘れてしまいそう——などと調子に乗りながらも、風ひとつ吹いていない見事な冬晴れに感謝した。
いかんせんわたしは寒がりである。そのため、冬場の曇天あるいは雨の日は無条件に外出を控えるほど、寒さに触れることが嫌いなのだ。そんなわたしにとって、この青空は天からの贈り物といえる。なんせ天気は、ニンゲンがどれほど努力しようがまったく結実しない、絶対的な自然のパワーでできているからだ。
そしてわたしは、出掛ける準備をしながら近所の公園で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声を聞いていた——気温は高くないが、穏やかな晴天に恵まれて子どもたちも楽しく遊べているのだろう。
こうしてわたしは・・もとい、寒がりのわたしは、勝手に「風ひとつ吹かない穏やかな冬晴れ」だと決め込んで、身支度を整えたのである。
*
今日は一日出突っ張りのため、朝の服装で夜まで過ごさなければならない。とはいえ都内ならば、移動するにも電車を乗り継いだり建物内を移動したりと、外気に晒されることなく行動が可能なため、そこまで神経質にならずに済むので便利。
そしてわたしは、ここぞとばかりに軽やかな格好で外出をした。上着はパタゴニアのフリース、パンツは裏起毛のレギンス——見た目はモコモコしており温かそうだが、実際には秋の終わりか冬の初めくらいの防寒レベル。
(こんないい天気なのだから、このくらいの軽装で問題なし!)
気持ちも軽やかに、すでに遅刻ギリギリの時間だったので駅まで全力ダッシュしたのであった。
——実はその時、薄々感じていたことがある。それは、"なんとなく風が強い"ということだった。
ウェザーニュースによると、
「一般的に、風速1m/sで体感温度が1℃下がると言われています。つまり、気温が10℃の時に風速が10m/sだと、体感は0℃という計算になります。」
ということらしい。加えて、湿度が低いことでも体感温度は下がるため、真冬に風が吹くと体感温度は激下がりするのだ。
にもかかわらずわたしは、今日に限って「風が吹いていない」と勘違いをした。というより、勝手な思い込みをしたのだ。雲一つない青空・・言い換えれば、「風が吹いているので、雲が停滞していない」ともとれるわけだが、そこを見落としただけでなく、子どもたちのはしゃぎ声も相まって"外で過ごすのに快適な天気なのだ"と、誤った解釈をしてしまったのだ。
そのため、見た目はモコモコで温かそうだが実際には穴だらけで風をモロに通すフリースを選んだわたしは、必要以上に寒さを感じていた。繰り返しになるが、わたしは極度の寒がりである。本来ならば暑すぎるくらいの防寒対策をするべき季節にもかかわらず、なぜ風通しのいいフリースなどを羽織って出かけてしまったのだろうか——。
最寄り駅で電車を降りると、目的地まで10分ほど歩くこととなった。ところが、これまた最悪なことにビルの合間を進まなければならず、強風に煽られるだけでなく常に日陰の道を歩まされるという、地獄のような苦行を強いられた。
どれほど歯を食いしばっても、無慈悲に吹きすさぶ風から逃れることはできない。おまけに、建ち並ぶビルが太陽を遮断し完全なる闇の世界を作り上げているため、日向で気力と体力をチャージしようにも叶わない。
・・・これはまさに世紀末。
とのその時、ひと筋の光を発見した——日光だ!!そう、悪の根源たるビル群の先には、神のご加護ともとれる陽の光があるではないか。
わたしは走った、無心にダッシュした。とにかく、あそこへ行けばわたしは救われるのだ。たったひと時の気休めかもしれないが、それでも極悪非道ないばらの道から解放されるのならば、わずかでいいからすがりたい——。
そしてわたしは車道へと飛び出した。
とはいえ、そこまで車の往来は激しくないため、タクシー待ちのあわてんぼうが飛び出してきた・・くらいの感覚だろう。とにかく、ビル群を抜けた先にある神のご加護は、車道にしか存在しないのだからやむをえず。
「なんと愚かなことを!」と罵倒されても構わない。なんせ、ここへ来て日陰で信号待ちができるほど、わたしには余力が残っていなかったのだから。張り詰めた緊張感と寒さに抗い続けた忍耐力は、もはや限界を迎えようとしている。そんな極限状態で、日向を目の前にして立ち止まることなどできるはずもない。
そしてわたしは天を仰いでこう呟いた。
(あぁ神よ、我を極寒の暗黒地獄からお救いくださり感謝いたします!)
*
今日も外は快晴の様子だが、果たして風は吹いていないのだろうか——。完全に疑心暗鬼に陥るわたしなのである。
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