「所詮、夏蜜柑の菓子だろ?」などと軽んずるなかれ

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食べ物の醍醐味というのは、やはり"誰が作ったのか"とか"誰と食べるのか"というような、「誰」の要素が大きいところにある。たとえば、有名料理店で高級ディナーを満喫したとしても、同席した相手がイヤな奴ならばせっかくのメシも不味くなる。逆に、小汚い屋台で売られている半生のたこ焼きでも、仲の良い友達とハフハフ頬張れば、それはもう極上の美味さになるわけで。

このように、料理というのは素材や調理方法だけでなく、食べる場所や食器、照明などの物理的な環境に加えて、誰が作ったのか・・とか、誰と食べるのか・・など、ヒトの要素で左右されるのである。

(・・だから手作り弁当は美味いんだな)

わたしはおむすびが大好物だが、最高の米と塩、海苔、梅があれば最高のおむすびになるのかというと、答えはノーだ。やはり"誰が握ったのか"という部分が、おむすびの味を左右する決め手となる。とくに、友人や知人など「顔の見える相手」が握ったおむすびは、味付けなどしなくとも十分美味いのである。

 

よって、いつでもおむすびを受け付けている・・ということをここで大々的に宣伝しておこう。

 

そして今、わたしは砂糖まみれの夏ミカンとキュウリをつまんでいる。これといって、果物を砂糖漬けにしたものやドライフルーツが好きなワケではないが、せっかく友人からもらった土産なので、とりあえず味見することにしたのだ。

パッケージの文字は旧字体なのだろうか、現代人のわたしには読めないが、調べたところ「萩乃薫(はぎのかおり)」という、夏みかんを用いた菓子だった。山口県萩市に店を構える光圀本店は、安政5年(いつだろう・・)に創業した夏蜜柑菓子の老舗である。

幕末創業。明治維新からの流れを持つ萩の特産品「夏蜜柑(なつみかん)」 を使って、ほろ苦い皮の風味を大切に残した昔ながらの独自の製法で 夏みかん菓子をひとつひとつ丁寧に、手づくりで仕上げています。

明治9年、萩にはじめて夏みかんが植えられてから4年の間、あらゆる苦心研究 (苦すぎ、固すぎ、甘いだけで風味がないなど)の末、明治13年ついに納得のい くものが出来ました。以来、一子相伝でその技術を伝え守りつつ、萩の夏みかん にこだわって、今に至ります。 そんな昔ながらの製法・素材にこだわり続けた、光國本店の「懐かしい味」を是非ご賞味ください。(ホームページより引用)

これを読むだけでも、夏みかんへの愛とこだわりがひしひしと伝わってくるわけで、単なる"砂糖まみれの夏みかん"ではないことが分かる。ちなみに、わたしがつまんでいる"萩乃薫"は、夏みかんの皮を細切りにして糖蜜煮にしたもので、しっとり柔らかな歯ごたえと爽やかな風味が後を引く和菓子だ。

さらに、この時期限定で「青切り」なるものが夏みかんの皮と一緒に入っているのだが、この青切りこそが、わたしがキュウリだと思った"丸い緑色"の正体だった。青切り(あおぎり)とは、熟す前のまだ青いうちに収穫した果実ことで、いわば"夏みかんの子ども"である。

(柑橘類特有のほろ苦さが口の中に広がったのは、キュウリではなく青切りだったからなのか——)

 

真っ白な粉を全身に塗りたくった夏みかんは、本来の色である鮮やかな黄色が目視できないほどに、じゃりじゃりの砂糖まみれとなっている。そんな甘ったるい菓子など、一つ二つつまめば十分・・と思っていたわたしだが、あれよあれよという間に一袋を食べ尽くしてしまったのだ。

(まだまだ食べられる・・いや、むしろ食べ足りない!)

はやる気持ちを抑えきれないわたしは、そそくさと光圀本店のホームページを開いた。すると、なんと「夏蜜柑丸漬(なつみかんまるづけ)」という名の丸ごとバナナ・・ではなく、丸ごと夏みかんがあるではないか。あぁ、これに齧りつきたい——。

 

ちなみに、スーパーで夏みかんが売られていても、わたしは決して買わない。なぜなら、皮を剥くのが面倒だしそこまで好きではないからだ。それなのに、この夏みかんの菓子はとてつもなく魅力的で美味いわけで、これならば何十個でも喜んで買うだろう。

そしてもう一つの「美味さ」の理由は、やはり"友人からの土産"という点にある。おまけに、未踏の地である山口県・萩市の伝統菓子ということで、まるで外国の貴重なスイーツを食べたかのような、心躍るサプライズが後押ししたのだろう。

(地方土産、いいね・・・)

もらっておいてなんだが、もっとたくさん食べたかった——。

 

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