念願の痴漢遭遇、そのとき私に起きたこと

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この時を待っていた。

ずいぶんと長い年月を費やした。

夢にまで見た瞬間がとうとうやってきたのだ。

 

私は今日、ついに痴漢と遭遇した。

 

 

「高校のとき痴漢にあったの!」

 

「そのオッサンの手つかまえたら逆ギレされてさー」

 

友人たちは過去に一度は痴漢の被害に遭っている。

どれだけ卑劣な行為か、どれだけ恐怖を感じたか、前のめりになりながら聞かせてくれる。

 

まるでモテ自慢のようなその話を、私は忌々しく思っていた。

なぜなら私は一度も、痴漢にもナンパにも宗教の勧誘にも遭ったことがないからだ。

 

そんな私は格闘技をたしなんでいる。

よって、いざという時に役に立つのではないかと考えている。

 

背後からいきなり襲われた場合、しゃがみこむと同時に背負い投げのように前方へ叩きつけ、肩と頭で相手をコントロールしながらニーオンベリー(膝で相手の腹部を突き刺す)へ移行する。

 

相手が暴れるようならば、襟ごとフィストチョーク(握りこぶしを頸動脈に押し付ける)で動きを止める。

 

力の強い相手ならば顔面を踏みつけて鼻の骨を折ってから、チョークで眠らせて安全なボディコントロールの体勢を確保する。

 

余談だが、鼻の骨を折ると戦意喪失するらしい。

某路上の伝説の兄から教わったので確かだろう。

 

誤解されては困るが、率先してこれらをやろうというわけではない。

正当防衛の一環として思い浮かぶ行動の一部というだけだ。

 

ましてや突然の痴漢行為にどこまで冷静に対応できるのか、遭遇したことがないゆえに想像がつかない。

 

それでも自衛隊の訓練をイメージしてほしい。

 

いつ勃発するか分からない有事に向けて、彼らは日々訓練を行う。

そして国民を守るため、24時間体制で任務に就いている。

そんな彼らが国防や災害派遣のお勉強だけをしていたら、有事の際は大パニックとなるだろう。

 

つまり実戦形式の準備や訓練はマストなのだ。

 

私は24時間体制で、痴漢に襲われるイメージトレーニングを行っている。

いつ何時どのような方法で襲われたとしても、確実に対処できる自信がある。

 

街中では常に殺気を放ち周囲をにらみつけながら歩く。

背後の警戒も怠らず、怪しい足音が聞こえればその場でしゃがみ、靴紐を結ぶフリをして確認する。

(履いているのはサンダルだが)

 

このように、いつでも痴漢と遭遇する準備のできている私だが、過去に一度も被害にあったことがない。

 

世の女性らが怖い思いをしているというのに、その一端を担うことすらできないもどかしさを、何年も何十年も味わってきた。

 

それがだ、苦節?年とうとうその時がきた。

 

 

場所は夜遅くの池袋駅。

終電間近の構内は、帰路を急ぐ人々であふれかえっている。

 

改札近くで友人と会話をしていたとき、視界の隅に不審な人間がちらついた。

私は振り向かず、周辺視野のなかでその人物を特定した。

 

不思議なもので、不審者はほんとうに不審なのだ。

動きが怪しいわけではないが、不審者だと認めるに足る、絶対的な確信を得る何かがある。

 

あの男は痴漢をするーー

 

駅構内、大きな人の流れはあるものの明確な通路はない。

斜めにフラフラする人、急に方向転換する人もいるなか、不審者は真っすぐこちらへ向かってくる。

 

私からおよそ5メートルの距離、すれ違うとしたらギリギリの間隔でヤツは方向を整えた。

 

このままでは私の背部とヤツが接触するーー

 

察知した私は一歩前へ出る。

これにより、不審者が私の背後を通ったとしても接触することはない。

 

そう思いながらヤツが後ろを通りすぎる瞬間、なんとこちらへ近づき、右手の甲で私の美尻を撫でたのだ。

 

やったなーー

 

うつむき気味に足元に目をやっていた私は、間違いなく一歩近づく瞬間を目撃した。

 

背後を通り過ぎると同時に、私は男の右手を掴んだ。

 

「いま何した?」

 

20代後半の男は怯える表情で私を見た。

何もしていません、とマスク越しに小声で答える。

 

「殺すぞ」

 

そう吐き捨てると、男が握っていたスマホを取り上げ地面に叩きつけた。

 

私の手に力が入る。

男の右手はみるみるうっ血し、ベニヤ板のような色に変わっていく。

 

私は再び男に尋ねた。

 

「何したか言ってみろよ」

 

そう言いながら割れたスマホにかかとを落とし、カバーガラスを粉々にした。

とそのとき、ふと気づいたことがある。

 

痴漢の証拠がない。

 

私はこいつが確信犯であると知っている。

だがそれを証明するには、あまりに資料が乏しすぎる。

ましてや終電間際の池袋駅、目撃者などいるはずもなければ監視カメラにも映っていないだろう。

 

このスマホに手がかりとなる画像があったかもしれない。

しかし私がそれを破壊してしまったわけで、ディスプレイは真っ黒で動かない。

 

冷静に考えると、私はこいつのスマホを破壊している。

さらに手首を砕く勢いでひねり上げている。

あげくの果てには「殺すぞ」と脅しまでしている。

 

ーー分が悪すぎる

 

 

「すごい殺気でにらんでる」

 

友人の声で我に返った。

私は尻を触られた瞬間、その後の展開を脳内で見たのだ。

 

すれ違いざま、確かにヤツの手首を掴んだが、すぐに放した。

 

ーー友人の前でさすがにあれはできない

 

結局、日ごろの訓練も強い意志も正当防衛もなに一つ実行することなく終わってしまった。

 

これが人生初の痴漢との遭遇だった。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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