自宅で時刻を知ることの難しさ

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(ま、マズい!あと12分しかないじゃないか・・・)

掛け時計の針が3時48分を指している。わたしは今日、午後4時に外出しなければならないというのに、まだなにも準備していないではないか。

マズいマズイ、遅刻はできないんだ——。

 

慌てて顔を洗いに洗面所へ向かおうとしたとき、わたしはとある疑問に気がついた。

(おかしいな・・・15時45分にアラームをセットしたはずだが)

そう、わたしは出発の15分前を知らせるアラームをセットしたのだ。それなのにスマホはうんともすんとも言わなかった。そんなはずはない——。

 

そこでわたしは、すぐさまスマホのサイドボタンを押した。すると画面には15時07分の数字が示されたのだ。

(ど、どういうことだ? あの壁掛け時計が、午前3時48分で止まったままだった・・ということか??)

念のためアレクサにも現在時刻を尋ねてたところ、やはり「午後3時7分です」と答えた。

(ということは、これでわが家の時計はすべて止まったわけか・・)

じつはここ最近で、風呂場の時計が止まりトイレの時計が止まり、そしてリビングの時計が止まったのだ。要するに、わが家の時計はすべて止まったのだ。

 

もしもスマホがなければ、あるいは電気が使えなければ、わたしは時間を確認することができない。電池要らずの自動巻き時計は何年も止まっているし、わたしの腹時計など常に「飯の時間」を示しているため、まったくあてにならない。

空を見上げたところで果たして今が何時なのかは分からないし、電池や電気がなければ、人間というのは圧倒的に無能であることが露呈された瞬間である。

 

(とはいえ、今はまだ15時7分だから余裕があるな・・)

スマホとアレクサでしか時刻を確認できないわたしは、とりあえず出かける準備を始めた。それにしても、日頃から当たり前に時間を知ることができた贅沢に、今さらながら感謝せずにはいられない——。

 

・・というか、それより何より風呂場の防水時計は何か月も前から止まっていたわけで、それを知っていたにもかかわらず電池交換をしなかったわたしが悪い。

なんせ滅多に風呂には入らないし、入ったところでゆっくり湯船につかることもない。よって、この時計を頼りにするのはせいぜい歯磨きをしている時くらいで、それすらもスマホで動画を視聴していれば必要なくなる。

——このような理由から、わたしはついつい電池交換を怠ってしまったのだ。

 

そして数週間前、ついにトイレの時計が止まってしまった。

トイレの時計というのは想像以上に重要な意味を持つ。なぜなら、思うように排泄のコントロールができなかったとき、しかも、それが出掛ける直前だったりすると、不可抗力の遅刻が確定してしまうからだ。

(やばい・・あと2分で出ないと電車に間に合わない)

焦る気持ちとは裏腹に、出ないものは出ないのだからしょうがない。途中で切り上げるか・・いや、最後まで出しきりたい。だが、それがあと何分で完結できるのか、わたしにも分からない——。

 

そんな焦りと緊張に押しつぶされそうになったとき、頼りになるのがこの"時計"なのだ。便座に座るわたしの唯一の味方であり、もっとも頼りになる存在・・そんな大切な友である時計が、時を刻まなくなって数週間が過ぎた。

いま思えば、せめてトイレの時計くらい電池交換しておけばよかった。風呂場の時計は、風呂に入らないから後回しにするとしても、トイレの時計はあらゆる意味で必要となるからだ。

・・などと思いつつもボケっとしていたせいで、わが家における最大サイズの壁掛け時計まで止まってしまったのだ。そのせいで、パッと見で時間を知ることができなくなったわけだ。

 

ところが、残念なことに我が家に電池はない。すぐにでも時計を動かしたいのだが、いかんせん動力源がないのだからどうしようもないのである。

(つまり、電池を買ってこなければ時間を知ることはできないのか・・)

そんな当たり前のことを呟きながらも、なぜか何か月も電池を買ってくるのを忘れるわたしなのであった。

 

サムネイル by 希鳳

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