散弾銃所持者は三年に一度、「猟銃等経験者講習会」を受講しなければならない。およそ2時間の座学なのだが、わたしは久々に身体から生気が吸い取られる経験をしたのである。
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ややもすると"閉所恐怖症"の気があるわたし。たとえば、棺桶のような狭い空間に閉じ込められると、脳内の血流が沸騰するような感覚に襲われて発狂しそうになるからだ。
棺桶に近い形だと、MRIで脳の画像撮影をするときか。あの時も、迫りくる強烈な工事音とともに心拍数が上がり、脳内が沸騰するような生理的嫌悪感がこみ上げてくる。だがこちらに関しては、身体拘束されている苦痛やのMRI装置の狭さよりも、あの磁気共鳴音が呪言となって脳内を攻撃しているように思うのだ。そのため、意識を音から逸らすことで見事に克服した過去がある。
そんなわたしだが、某警察署の大会議室で行われた猟銃等経験者講習会で、危うく発作を起こしそうになった。
大会議室というくらいに広い室内で、窓ガラスからは爽やかな日差しが降り注ぎ、出入り口のドアも完全に閉鎖せずドアストッパーで隙間が確保されている。そんな広々とした空間であるにもかかわらず、気付くと息苦しさを感じたのである。
(おかしいな、呼吸は普通に維持しているのに・・)
講師の話に夢中になるあまり、ついつい呼吸を忘れてしまったのだろうか・・・いや、違う。むしろその逆だ。
講師の名誉のために念を押しておくが、彼は立派に役割を果たしてくれた。「こんな話を聞いたところでつまらないだけだが、これも義務なので"耐える"という努力を互いに遂行しよう」・・という雰囲気を醸しながら、慣れた口調で講義を続けていたわけで。
よって、彼の話がつまらなかったとかそういうことではなく、わたしにとって価値や興味を見出せない話を、姿勢よくじっと傾聴しなければならない状況に、わたしの体が拒否反応を示したのだ。
室内の酸素が薄い可能性を疑ったが、テロか何かに巻き込まれていない限りそれはなさそうだ。さらにわたし以外の参加者はいたって普通に講義を聞いている。
もちろん、寝ている者もスマホをいじる者もいない。なぜか皆、背筋を伸ばしてジッと講師の話に耳を傾けているのである。
(これが、社会人としての常識というか耐性というか、あるべき姿なのか・・・)
みるみる体調不良の波が押し寄せてくるわたしは、唯一の持ち物であるコーヒータンブラーを手に取ると、ここへ来る直前に入れてもらったばかりのホットコーヒーをゴクリと飲み込んだ。とにかく、まずは気持ちを落ち着かせなければ——。
ちなみに、このタンブラーは日本では売っていない。クウェート土産であり、雑なつくりがなおさら中東感を象徴しているところがお気に入り。
さらにアイス専用タンブラーのため、重量が軽いのも素晴らしい。通常のタンブラーはステンレス素材のため、保温効果は抜群だがいかんせん重たい。ところがこれは、単なる樹脂の塊であり、持ち歩いても負担にならないところが気に入っているのである。
(せっかくだから、タンブラーの画像を送ってあげよう)
わたしはふと、この土産をくれた後輩にタンブラーを使っている証拠写真を送ろうと思った。だが今は講習会の途中であり、iPhoneのカメラで撮影すれば「ピコン」というシャッター音がするため絶対にできない。・・そう、わたしは常識あるオトナのため、そういった不適切な行為は断じて許せないのである。
そこでわたしは考えた。「シャッター音のしないカメラアプリを使えばいいんじゃないか」・・と。
そこですぐさまネット検索し、"ステージカメラHD"という、シンプルな機能性と高画質が評価されている無音カメラアプリをダウンロードした。
普段はiPhone内蔵のカメラを使用するので、よっぽどの理由がない限り無音カメラを使う状況は訪れない。よって、そこまでこだわる必要も課金する意味もないわけで、とりあえず評価の高いアプリを選んだわけだが、果たしてこいつは本当に無音で撮影できるのだろうか——。
基本的に他人を信用しないわたしは、アプリですら疑っていた。「無音とかいいつつ、なんらかの操作をしなければシャッター音が出るとか、なにか罠があるんじゃないか?」と、疑心暗鬼になっていたのである。
だが、わたしにとって今まさに使用したいアプリなわけで、休憩時間に入ったら無意味な存在となる。今使わずしていつ使うのか——。
そこでわたしは覚悟を決めると、スマホを握りしめた手をパーカーの中に突っ込み、首から腹をのぞき込むようにして、腹の中で無音カメラのシャッターをタップしてみた。
(・・・・・・・)
なるほど、無音だ——。
確実に無音であることを確認したわたしは、今度は堂々とタンブラーを撮影した。息をするよりも静かに、この世の何も動いていないかのような静寂とともに、それでもしっかりとタンブラーを撮影することに成功したのである。
それと同時に、ここまでの数分間は呼吸の苦しさや閉所恐怖症のような圧迫感を抱くことなく、無意識かつ快適に過ごせたことに気がついた。
——やはり人間というのは、苦しい状況や環境に強制的に拘束されると、身体や精神に不調をきたすものなのだ。健康を維持するためには、そういった状況に身を置いてはならないし、誤って陥ってしまった場合はいち早く抜け出さなければならない。
そんな当たり前のことを、わたしは今、あらためて思い知らされたのだ。
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というわけで、無音カメラに夢中になっていると、そのうち講義は終わり休憩時間へと突入した。こうして、わたしはなんとか命拾いしたのである。
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