"ラメール"への最後のわがまま

Pocket

 

——ラメールがこの世を去った。ラメールとは、大宮公園小動物園で展示されていた、メスのカピバラの名前である。

 

わたしがラメールを知ったのは、仲良しのカピ友が配信するYouTubeがきっかけだった。

そもそもカピバラなんてものは、どの個体も似たり寄ったりの見た目をしている。強いて挙げるならば、体の大きさが子どもか大人かで違うくらいで、毛色のバリエーションが豊富なわけでも、縞々や水玉などの模様があるわけでもない。全員同じような茶色というか灰色というか、チャコール色をしており、特段目立った区別ができない動物なのだ。

それなのに、大宮公園小動物園にいる三頭のカピバラ(じつは三兄弟・・いや、三兄妹である)はそれぞれに個性があり、見た目の区別がつかなくても、行動を観察するだけで明確に"誰なのか"が分かるからすごい。

 

そんな、人間っぽいカピバラ三兄妹の真ん中のお姉ちゃんである"ラメール"が、11月15日の朝、9歳5か月で人生の幕を下ろした。今さらだが、奇しくも翌日の16日に、わたしはラメールたちに会いに行こうと考えていたのだが、叶わぬ夢となってしまった。

「いつか行こう」「時間ができたら行こう」なんて言葉は、金輪際使わないことを誓う。相手が生き物である以上、「いつか」のその日が来るとは限らないからだ。

——いつか会いに行くつもりだったラメールとは、もう二度と会うことはできないのだから。

 

 

ここ最近のラメールの動画や画像を見ていて、「なんか毛がパサついてるな」とか「目の周りにクマができてるみたいだ」と思っていた。だが、季節が冬に向かっているせいでそう見えるのだろう・・と楽観的に捉えていた。

今年の7月にラメールと会った時は、一緒に暮らす兄のピースよりも、体重が1キロほど重かった。わたしの勝手なイメージだが、動物というのは"オスのほうが大きい"と思い込んでいたため、まるで兄のように堂々と構える妹・ラメールと、「お姉ちゃんかまって!」と言わんばかりにラメールの後をついて回る兄・ピースを見比べて、「性別が逆なんじゃないか?」と疑問を抱いたほどだった。

 

ラメールは太々しくて愛嬌がない——。金網越しに二人を見つめるわたしを、完全に無視する彼女は可愛げがなかった。その点、兄のピースは愛嬌がある。必死に張りつく哀れな人間のために、わざわざこちらへ寄って来ては背中を撫でさせてくれるのだから。

そんなことを思いながらもラメールの行動を観察していると、ある時、一人でノッシノッシと歩きだした。どこへ行くのだろう?と後を追うと、そこは妹のチェリー(目の怪我のため隔離飼育)が暮らすエリアとの境界地点だった。そしてしばらくそこでじっとしていると、チェリーが姿を現した。二人は金網越しに鼻を近づけ、フンフンしながら何か会話をしている模様。

その姿を見た兄のピースが急いで合流すると、三兄妹でなにやら楽しそうにおしゃべりを始めたのだ。

 

ラメールは姉として、一人で暮らす妹のチェリーを気遣ったのだろう。人間からすれば「愛想がない」と感じる態度かもしれないが、そんなものは動物界には存在しないわけで、見た目からは判断できない優しや愛情をダイレクトに伝えているのが、ラメールなのではなかろうか——。

そもそも「愛想がいい」ってなんだ?他人の顔色を伺って、他人から気に入られるようにいい子ぶるのが「愛想」なのか?そんな身勝手で自分本位な態度や行動は、浅はかで低レベルな人間固有の現象だろう。

カピバラにはカピバラなりの愛情表現があり、それを人間ごときが理解し体感しよう・・などという欲望こそが、図々しい勘違いであり惨めで悍(おぞ)ましい考えなのだ。だからこそ、わたしはラメールに詫びた。人間目線でキミを判断したことを、心から謝りたい——と。

 

そんな下衆なわたしを見透かしたかのように、彼女らを日頃から見守る人たちには懐いていたラメール。わたしがどれほど呼んでも見向きもしなかったのに、ある人は「今日も、呼んだら来てくれてありがとう」と喜びを表していた。

——ラメールは人を見る目があるのだ。だからこそ、わたしごときの呼びかけには応えてくれなかったのだ。

 

だからこそ、わたしは覚悟を決めた。"次に会う時は、必ずラメールに振り向いてもらおう"と。

太々しいとか愛想がないとか、そんなくだらない人間のエゴは捨てて、湯浴みの飛沫(しぶき)に目を細める、チャーミングなラメールにラブコールを送ろう。食べるのが遅い兄・ピースのご飯を横取りしてしまう、おてんばなラメールに声をかけよう——。

 

じつは繊細で警戒心の強い彼女は、誰よりも他人に気を付けていたのだろう。それに比べて、マイペースで空気の読めないピースは、見ている側からするとその面白さから"愛されキャラ"に位置づけられるのかもしれない。

そんな凸凹コンビだからこそ、9年以上も仲良く過ごすことができたのだ。いや、凸凹だからフィットしたのだ。

 

 

広い敷地で一人になったピースは、何を思っているのだろう。食事仲間のカメと、食事を横取りするカラスも、ラメールがいないカピバラ舎をどう感じるのだろう。

生き物はいつか必ずこの世を去る。そして、わたしがラメールを呼んで彼女がこちらへ来てくれる未来は、もう二度と訪れないというのが現実となった。

でも、次にラメールに声をかけたなら、きっと彼女はわたしの前に現れただろう。——勝手なわがままだが、そう信じさせてほしい。

 

たくさんの思い出をありがとう、ラメール。

 

Pocket