最高のクロワッサンと背広組

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目黒駅直結の駅ビル「アトレ目黒」に、新たなパンの店ができた。時間つぶしにブラブラしていたところ、パンのいい匂いに誘われて、そちらへ吸い寄せられたのである。

パンというのは恐ろしい。なぜなら、ある程度の離れた距離からでも「焼きたてのいい匂い」という、見えない攻撃を仕掛けてくるからだ。まぁ、焼肉も同じような攻撃が可能だが、あちらは腹が減っていなければむしろ不快である。

それに比べてパンは、仮に満腹だったとしても「いい匂い~」という言葉が口をついて出るわけで、なんとも不公平だが仕方がない。

 

目黒にできた新たなパン屋は、「ゴントラン シェリエ」。表面がさっくりと軽く、それでいてしっとりした中身のクロワッサンが、わたしのお気に入りである。

しかも目黒店のオープンに合わせて、ゴントラン・シェリエ氏本人が店舗を訪れるとあり、本社の人間が山ほど来ている。なぜ分かるのかというと、パン屋の店員とは異質の男どもが、ゴロゴロと待ち構えていたからだ。

 

普段は営業に出ているであろうスーツ姿の男や、役員や管理職といった、現場を知らない空気をプンプンまき散らす背広組たちが、取ってつけたかのようにエプロンを巻いて、店の入り口で「どうぞどうぞ」とやっている。

「スーツにエプロン」が悪いわけではない。だがパン屋というのは、派手に招き入れてまで購入させる類のものではないだろう。しかも、オシャレパン店を利用する客層は、比較的若い女性が中心であり、買い物慣れしている。

それなのに「こちらへどうぞ」と、催事場に訪れた客をさばくかのような、強引な誘導に違和感を覚えた。

もちろん、わたしはその指示を無視して店内に入った。なぜなら、そこまで混み合っていないからだ。

 

路面店のように入り口が一つであれば、店内での混雑緩和のために導線を引くのは正しい。しかし、開放的な設計であるテナント店舗で、かつ、さほど混雑もしていない状況にもかかわらず、なぜ無理やり客を固まらせる必要があるのだろうか。

わたしには、その姿がどうしても「仕事をやってますアピール」にしか見えなかった。さらにその行為が、高級パン屋の格を下げているようで残念だった。

 

もっと残念なのは、張り切って現場の手伝いをするお偉いさん(?)が、

「こちらもお買い求めいただけますよー」

などと言いながら、焼きたてのパンが積まれたトレーを差し出してきたのだ。そのパンを見ながら、とある女性客が「これは何かしら?」と尋ねた。それに対してお偉いさんは、しばらく沈黙した後に

「よく分かりませんが、クイニーアマンにナッツをまぶしたものに見えますね。焼きたてですから、さぁどうぞ」

と、とんでもないお粗末な返しをしたのだ。

 

(・・・パン屋を利用したこと、あるのか?)

客の質問は、そのパンが何かと聞いているのに対し、「よくわからないけど、焼きたてだから美味しいですよ」という、いわば論点のすり替えで逃げたのだ。

無論、焼きたてというのは魅力的なワードである。だがそれ以上に、そのパンが何なのかが重要だ。たとえばわたしの場合、焼きたてホヤホヤの美味そうなあんパンを勧められたとしても、それは決して購入には至らないわけで、中身が何かが非常に重要なポイントとなるのだ。

 

目黒で洒落たパンを買う女性客など、普段から高級なパンを口にしているだろうから、言うまでもなく舌は超えている。よって、それがクイニーアマンであることなど、見れば分かる。だからこそ、その美味そうなクイニーアマンの詳細が知りたいのだ。

そもそも、混雑するであろう店頭に立つのならば、陳列するパンの種類くらい覚えておくべきだ。逆に、仕事アピールでうろつくくらいなら、店内にいる必要がない。その分、カネを落としてくれる客を入れたほうが、どう考えても正解だからだ。

 

さらに、レジ手前で並んでいる客に向かって、レジが空いた瞬間に急き立てる背広組の姿にも、残念ながら違和感を覚えた。なぜなら、目の前のレジが空いたことなど、言われなくとも分かるからだ。

それも親切な口調ではなく、流れ作業を促すかのような機械的な案内だから、言われた側も気分が悪い。

 

なによりも、ここはパンの店である。

店内をゆっくりと回りながら、お気に入りのパンをトングでそっとつまみ上げてトレーに載せる。横入りすることも揉めることもなく、誰もが自然にレジの列へと並ぶ――。

これはある意味、パン屋における当たり前の現象でありルールといえる。とくに高級パン店に限っては、客層が必然的にふるいにかけられるため、言われなくとも秩序は保たれるのである。

 

(ここにいる背広組は、自分一人でパンを買ったことがないのだろう・・)

 

食べ物というのは不思議なもので、味がうまいというだけでは成立しない。店内の雰囲気やスタッフの接客を受けた時点で、すでに食べ物の価値が量られているのだ。

・・とはいえ、ここのクロワッサンはやはり絶品である。

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

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