なんというか、わたしの目の付け所がドンピシャで素晴らしかったし、それ以上にアイテムの実力が明らかだったことが証明されたわけだ。
ここだけの話、友人を喜ばせるために、口から出まかせの称賛を述べたところ、それこそが「商品のウリ」だったのだ――。
たとえば、男友達から新しくできた彼女を紹介されたとき、それがどうにも褒めるところのない女性だった場合を想像してほしい。
男友達の手前、彼女の見た目なり雰囲気なり、何らかの褒め言葉を発する必要がある。だが、どこをどう褒めても嘘になりそうなため、言葉を失っている状態だ。
さすがに沈黙が続くと、その彼女にも失礼だろう。そこで思い切ってこう褒めてみた。
「か、髪の毛がツヤツヤだね・・」
すると驚いたことに、男友達も彼女も大喜びしたのだ。じつは彼女、髪の毛のケアにすべてを賭けているらしく、艶やかな黒髪が何よりも自慢だったのだ。
危うく、
「夢に出てきそうな面構えだね」
「立派なご神木(足)だね」
「個性的なフォルムだね」
などと口走らなくてよかった。
――わたしは今日、まさにこのような状況に出くわしたのである。
*
友人から、京都の老舗パン屋「志津屋」の代表商品である「カルネ」をもらった。
見た目は庶民派のロールパンサンド。友人は絶賛するが、いったいこれをどうやって褒めたらいいのだ。
たとえば焼きたてのパンならば、いい香りがするとか生地がアツアツだとか、それなりの感想が出るだろう。
ましてやそれが有名パン屋のクロワッサンだったりしたら、称賛の言葉しか並ばない。
ところがこれは、ごく普通のありきたりなロールパンサンドではないか。しかも冷蔵庫で寝かせていたため、賞味期限が一日過ぎたサンドイッチだ。
ただでさえ言葉に詰まるところを、どうやって賛辞をおくればいいというのか・・・。
「カルネ食べた?」
感想を心待ちにする友人からメッセージが届く。もはや覚悟を決めてパンを齧るしかない。
こうしてわたしは、冷蔵庫から「京カルネ」を取り出した。
カルネは、ドイツで有名な丸いフランスパンの「カイザーゼンメル」に、たっぷりマーガリンとハム、さらにスライスした玉ねぎを挟んだサンドイッチである。
カイザーは「皇帝」を意味し、メンゼルはドイツ圏での「白パン」を指す。パン上面の模様が王冠に見えることから、このような名前がついたそうだ。
そして「カルネ」は、フランス語で「手帳」を指す。さらに、パリ交通公団がが発行する「地下鉄の回数券」もカルネと呼ばれており、志津屋のサイトには
「顧客への思いを回数券という言葉に託した」
と記されている。なんとも素敵なネーミングではないか。
・・余談だが、志津屋の「志津」は、初代社長夫人・志津子から付けられたとのこと。こちらもほっこりする逸話である。
そんなカルネに齧りついたわたしは、しばらく目を閉じてパン生地や具を味わった。
どう考えても珍しい素材ではないため、とにかく「何か変わった部分」を拾わなければ、友人への感想に困る。噛みごたえでも舌ざわりでもなんでもいい、なにかヒントをくれ――。
祈るように咀嚼を繰り返すわたしの舌先に、なんとも滑らかでクリーミーなマーガリンの存在を確認した。ふんわりと広がるマイルドな風味は、なぜか昔懐かしい幸せな記憶をよみがえらせる。
カイザーゼンメルはハードなパン生地だが、それでいて軽い歯ごたえが特徴。そこへたっぷりと塗られたマーガリンは、ハムと玉ネギとの相性も抜群である。むしろ、マーガリンだけを舐めても美味いだろう。
パン生地でもなければハムでもない。ましてや玉ネギでもなく「マーガリン」を褒めるなど、普通では考えられない。だがもはや、ここしか褒める場所が見つからない――。
わたしは友人へ、
「マーガリンが超美味い!」
と絶賛メッセージを送った。もっと他の部分についての感想を期待したであろう友人は、やや不満そうな返信をよこした。
だがわたしは、自分の舌を信じている。
マーガリンが美味いなど、今まで感じたことなどない。それなのにこのカルネはマーガリンが際立っている。いったいどういうことだろうか?
気になるわたしは志津屋のサイトを開いた。すると、驚きとともに心の底から納得できる「事実」と対面したのである。
なんと、カルネの美味しさの秘密として、志津屋オリジナルマーガリンの存在が明かされていたからだ。
「愛され続けて半世紀。京都のソウルフード『志津屋のカルネ』の味を守り続ける特別なマーガリンです」
やはり、特別だったのだ。
さらにカルネの味付けは、マーガリンのみでシンプルそのもの。そのため、パンへの塗り方から量までしっかりと決められているのだそう。
――ここまで深いこだわりがあったとは。
*
なにごとも、己の感覚を信じて間違いはない。
カルネはマーガリンが美味い、これに尽きる。
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