喪服改革

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喪服の行方がわからなくなってから、一週間が過ぎた。「わざと隠す」という選択肢がないならば、もはや我が家にアノ喪服は存在しない。

ゴミとして捨てるはずもないし、行きつけのクリーニング屋の手前で立ち寄るカフェもないため、どこかに置き忘れることもない。たまたま別のクリーニング屋へ出した可能性は否定できないが、まったく記憶にないわけで、思い出しようもない。そして衣服をクリーニング屋へ預ける際に電話番号を伝えているわけで、長期間取りに来なければ電話がかかってくるだろうから、一年近く置きっぱなしにしているとも考えにくい。

ということで、アノ喪服はこの世から消えたのだ。マジックかもしれないし超常現象かもしれないし、科学の力では解明できない理由かもしれない。とにかく、もう二度とアイツと対面することはないのだ。

 

クローゼットに残された喪服の上着だけが、相方を失って寂しそうにぶら下がっている。

 

喪服というのは安くない。どこで買ったのか正確には思い出せないが、デパートの喪服売り場でいくつかのタイプを試した上で決めた、それなりの衣装であった。

そして不幸というのはいつ訪れるか分からないものであるから、常にきちんと一式揃えておくのが社会人としての常識。

そんなストレスからか、最近では身内が亡くなる夢ばかりを見る。そして夜な夜なクローゼットをひっくり返しては、あるはずのない喪服を探すのであった。

 

睡眠不足に加えて情緒不安定が追い打ちをかける。これは一刻を争う重大な問題である。

 

そこで私はスマホを取り出すと、「喪服 オススメ」とググってみた。予想以上にたくさんの候補が出てくる。とりあえず上から順にレビューに目を通すと、値段がそこそこであれば満足度が高いことが読み取れる。

さすがに一万円未満の喪服は「イマイチ」というコメントが散見するが、一万五千円を超えたあたりから評価がグッと上がる。

「値段の割にかなり満足」

「日本製だけあって、まったく問題なし」

「同じものをもう一着買って、実家に予備として置いてあります」

これは期待できる。そして極めつけはこのコメントだった。

「頻繁に着用するわけではない喪服、このくらいの値段がちょうどいい」

たしかのその通りだ。私も昔から同じことを思っていたが、口にするのも憚られるためグッと堪えていた。それを見ず知らずの誰かが代弁してくれたのだ。

 

頻度的には数年に一度の装着率である喪服。最高級の素材やら有名ブランドやらの立派な一着をまとい、しめやかに故人を見送るのは素晴らしいこと。だが、故人を見送るあるいは偲ぶことが目的であれば、服装にカネをかける必要性については疑問が残る。

葬式の場で「喪服マウント」を取りたいのならば別だが、そうでなければ高価な喪服である必要はない。素材や染色方法が特殊なため、一般的なワンピースに比べたら金額は張るだろうが、貧乏人が無理して5万円も10万円も出す必要はない。

 

ネットのコメントに勇気づけられた私は、評価の高いその喪服をクリックした。日本製のため、日本人の体形に馴染むと書いてある。つまり、ユニクロが無理なく着用できるのと同じ感覚だろう。

さらにAmazonプライム会員の私は、明日、さっそく喪服が届くことになった。

 

 

ピンポーン

平べったい段ボール箱を手渡されると、無造作にガムテープを引っぺがす。そしてハンガーでひとまとめになっている、喪服のジャケットとワンピースを取り出した。

さっそく試着をしようとしたその瞬間、私は日本人の知恵と気遣いに驚愕するとともに感動し、思わずワンピースを落としてしまった。

(ふぁ、ファスナーが前に付いてる・・・)

昨年の夏、私は背中のファスナーが閉められずに半狂乱の体となっていた。あわや葬式に遅刻する、というすんでのところで、駅前のスタバにいた客をつかまえて、ファスナーを上げてもらったのだ。ちなみに帰りは近所のベーグル屋へ寄り、店員にファスナーを下げてもらってから帰宅した。

 

あの時のトラウマのせいで、その後、喪服の行方が分からなくなったのだ。あんな恐ろしい思いをしなければ、きっと私の海馬も健全であったはず。

それがどうだ、ネットで購入した一万五千円の喪服は、なんと前にファスナーが付いているではないか!

そしてファスナー部分は、ワンピースのデザインに工夫を凝らすことでまったくわからない。いやはや、これこそが人間に必要な知恵であり工夫であり、技術というやつだろう。

 

そもそも「背中にファスナーがある」という服のつくりは、衣服の着脱を手伝う誰かがいるという前提である。そうでなければ、誰がわざわざ背後にファスナーなど設置するであろうか。

ネックレスやクリップを使って、わざわざ背中のファスナーを閉める必要性が、どこにあるというのか。

 

不幸は訪れないほうがいい。だがもしもの時には一人で喪服を着用し、故人との別れに向かおうと思う。

 

サムネイル by 希鳳

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