閉鎖的な空間でもっとも気になることといえば、ニオイだろう。どぎつい香水や化粧品のニオイも耐え難いものはあるが、マクドナルドや餃子、肉まんなどを持ち込んだ時の"ばつの悪さ"というのも、なかなかの針の筵(むしろ)である。
逆に、いい匂いのクッキーや焼きたてのパンの香りというのも、ヨダレで口内が洪水となるため相応しくない。むしろ、自分一人でいい匂いを満喫したいのに、その辺の有象無象に分け与えてやる必要などないのだから。
・・まぁ、食べ物の匂いならば百歩譲って許せるだろう。だがこれが、歓迎されざるニオイだった場合、その閉鎖空間はある種"バトル・ロワイアルの戦場"と化すのである。
*
(・・ムッ、誰か放屁をしたな!)
半径3メートル以内で、何者かがおならをした模様。無論わたしではない。仮にわたしが犯人の場合、そんな白々しいセリフを吐くはずがないからだ。
そもそも放屁とは生理現象であり、誰にでも起こりうるごく自然なガス排出行為。よって、誰かがおならをしたからといって、責めることも怒ることもない。
むしろわたしが警戒しているのは、放屁犯を突き止め罵声を浴びせるためではなく、わたしの周囲にいる人間が、この異臭の原因が"わたしではないか?"と疑うことを恐れたのだ。
(なんとなくマズいな・・。わたしが犯人だと思われるのは癪に障る。だからといって「わたしじゃありません!」などと言うのもおかしな話だ。しかし「やはりこのオンナが犯人だろう。見るからにクサそうな屁を放つ面構えだ!」と、事実無根の勘違いをされるのも心外である。ではいったいどうすれば・・)
ふと、右隣に座る友人の顔をチラ見した。
(・・もしかするとこいつも、わたしが犯人だと疑っているやもしれぬ。いや、待てよ。むしろおまえが犯人なのではなかろうか?シレッとすまし顔でやり過ごしているが、じつは内心ドキドキなんじゃないか?よく見ると顔が紅潮しているように見えなくもない。そうだろう、公衆の面前でこんなにもクサい放屁をしたとなれば、末代までの恥である。なに、気にすることはない。なんせ生理現象なのだから)
これで一件落着といきたいところだったが、目の前のオトコと視線が合ったことにより、さっきまでの美しい妄想は消え去った。——マズいマズい、マズいぞ!こいつ、わたしが犯人だと思ってやがる!!
その時わたしは、"咄嗟に鼻を覆い顔を歪める"という対処法を思いついた。「誰よぉ、こんなところでおならなんかしたのは!プンプン」という感じで、"わたしは被害者です"感をアピールするのだ。
およそ周囲の人間どもは誰もが同じ思いをしているわけで、犯人以外は全員「あぁ、この女性ではないんだ」と分かってくれるだろう。少なくともそうすることで、わたしが無実であることの証明ができる。・・なんせまだ嫁入り前の身、放屁犯として疑われるなどもってのほかである。
(・・いや待てよ。そんなあからさまなジェスチャーをしたら、真犯人が傷つくのではなかろうか?奴だってわざと放屁したわけではあるまい。つい思わず括約筋が緩んで、プッとやってしまっただけだろう。我々に不快な思いをさせるために異臭を排出したわけじゃないのに、それを嫌味のように「わたしじゃありませんアピール」をするなど、意地の悪い姑の典型じゃあないか。そこまでして他人を傷つけてもいい権利など、あるはずもない。やはりここは無言でスルーが得策か・・)
念のため、左隣りの他人の顔をチラ見すると、そいつも特に変わった様子を見せず、平然と座っている。こうなったら誰が犯人なのか、勝手に特定してやろう——。
わたしは周囲の人間どもの顔を次々と睨みつけた。なにも睨むことはないのだが、あたかも自分ではないフリを貫く犯人に対して、温かい眼差しを向けることはできない。よって、誰が犯人でもいいように厳しい視線で表情をチェックするのだ。
しかしこいつら全員、劇団員なんじゃないか?と思うほど、みんながみんなしれっとしているではないか。少しくらい恥ずかしがったり顔を赤らめたりすればいいものを、反省の色すら見せずに「自分じゃありません」アピールに徹するあたり、なんとも憎たらしい。
おもらししちゃった子どものように、放屁を恥じてモジモジしていたら可愛らしいものを、ここまで厚顔無恥とは恐れ入ったわ!
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・・という風に、閉鎖空間でおならをすると誰もが疑心暗鬼になり、自分以外の全員が敵となるのである。むしろ、放屁犯本人すらも「やべぇ、ついおならしちゃった(汗)」と焦りつつも平静を装うわけで、どのみち"究極の騙し合い"が繰り広げられるのである。
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