一騎当万

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東京・台場にあるサテライトオフィス、つまりスタバで仕事をしている。

窓の外にはレインボーブリッジ。

 

(およそ1.5キロといったところか)

 

橋からここまでの距離だ。

仮に橋のどこかからスナイパーライフルで狙撃されるとすると、確実に殺される距離。

だからこそ無防備に窓際で仕事をするのは危険なのだ。

 

ラスベガスで最新のスナイパーライフルを撃たせてもらったが、1.5キロ先はスコープを通すとかなりはっきりと見える。

私でも、いや、私のコーチならば百発百中だろう。

 

そんなことも計算できない平和ボケしたApple信者たち(失礼)が、窓際を占拠し優雅にキーボードを叩く。

ちなみに、最新のMacBook ProにもMacBook Airにも、通常のUSB端子は刺さらない。

それゆえ、スマホの充電ができずにこぞってコンセントの近くを陣取る信者ら。

 

(見た目を気にするわりに間抜けだな)

 

他人をこき下ろすのが趣味の私は、しばらく信者らを物色してから自らの仕事にとりかかる。

と思ったが、仕事の前に今日未明の出来事を振り返りたい。

 

 

深夜2時過ぎ、スマホがリツイートを知らせた。

画面を見ると、見知らぬフォロワーが何やらリツイートした様子。

その表示が消える寸前、最初の1~2行が目に焼き付いた。

 

「私がRTしてもなんの拡散力もないんだけど、

本当にどの記事もおもしろくて、」

 

その先を読まずして涙がこみあげてきた。

 

私がブログを毎日書き続ける意味や目的を、知っている人間はほぼいない。

暇つぶしに適当なことを書いている、という程度の感想だろう。

もちろんそれでいいし、その通りだ。

 

人生は大いなる暇つぶし。

 

暇つぶしのさらに極一部の無駄使いとしてコラムを書いているわけで、なんてことはない。

だが、この先の見えないプロジェクトに対して、なんの見返りもなく協力してくれる友人らがいることを思い出す。

 

最近知ったのだが、コラムのタイトルの「裏の意味」を理解している人はほとんどいない。

そんな「意味不明なタイトル」としてスルーされてきた、価値あるタイトルを提供し続ける職人は、極度のコミュ障で人間不信の友人だ。

人間の知り合いなど親を含めても数人しかいないのに、なぜ私とはコミュニケーションが取れるのか尋ねると、

「URABEが人ではなさそうだから」

という冗談のようで本気の返答。

そして、無償でコラムのタイトルに協力してくれる理由を聞くと、

「強要」

「脅し」

「観念」

「畏怖の念」

と連続でラインが返ってきた。

このやり取りをどう捉えるかは各々の自由だが、私たちにとってはこれが普通であり、リアルなやりとりの一部だ。

 

サムネのイラストを使用させてもらっている知人がいるが、彼とは会ったことも話したこともない。

SNSで彼のイラストに一目ぼれし、サムネとしての使用を懇願したことで始まった関係。

毎度見事な存在感で、コラムの内容以上にパンチの効いた作品になるのは、偏に彼のイラストのおかげだ。

 

そしてちょうどいいイラストが見つからないとき、美大卒の後輩が登場する。

彼女へは、イメージの膨らませ方もタイムリミット的にも相当な無理難題を投げるが、いつも短時間で見事に形にする才能の持ち主。

そんな彼女へも、なぜ協力をしてくれるのか尋ねた。

「協力したいっていう興味と意欲かな」

私が求めるイメージとのすり合わせに苦戦するも、自らのスキルアップにつながるからと好意的に受け止めてくれる。

 

ほかにも、読後の感想を聞かせてくれたり、ブログの効果的な運用について助言をくれたり、影で私を支える友人らがいる。

 

彼ら彼女らを思うと、コネも忖度もない見ず知らずのフォロワーによる、決死の覚悟のリツイートに目頭が熱くなるのは当然だ。

 

ーーそうだ

私にとっては、読まずに押す「1万のいいね」より、読んで面白かったと言われる「1つのいいね」のほうが価値がある。

 

なぜなら、私はリアルを生きているのだから。

 

 

Illustrated by 鳳希(おおとりのぞみ)

 

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