再生事業、すなわちリノベーションに着手して3年半。
生まれ変わったこのホテルは、私の目をごまかすことができなかった。
家政婦は見てないかもしれないが、私は見た。
隠しきれないほどのカビたちを。
*
ホテル事業というものはなかなか難しいのだろう。
ただでさえコロナで客足が途絶えるなか、ここ数年でホテルを買い取ったオーナーは大打撃をくらっている。
そして観光地とはいえ湿度の高い温泉地においては、宿泊客の減少と同じくらい、水面下でカビとの戦いが繰り広げられている。
ましてや、冬にもかかわらず美しいグリーンの絨毯(じゅうたん)、別名「苔」が生えるような高湿度かつ日陰地に建つホテルなど、どんなにリノベーションしたとしても自然の力、つまりカビには勝てまい。
地球上にカビが誕生したのは今から30億年前。
生存の歴史からも、人間ごときがカビに敵うわけもない。
ホテルの駐車場に降り立った瞬間、私は勘づいた。
雨が降ったわけでもないのにアスファルトがびしょ濡れということは、
ここは相当な湿気を帯びている。
さらにリノベーション後、3年半が経過したこのホテルはそろそろボロが出る頃だろう。
誤解しないでもらいたい。
わざわざ今夜泊まるホテルの粗探しをしようというわけではない。
ただ、湿気にナーバスな私の目は、自然とカビを発見してしまうのだ。
なぜなら、我が家が気密性の高いコンクリートの部屋ゆえ、外気との温度差による大結露からの、大量のカビが発生した過去があるからに他ならない。
たとえばこのスリッパ。
ホテルのエントランスでスリッパに履き替えるシステムだが、普通の人ならば気づかないであろう僅かなカビの存在を見逃せなかった。
こうなると、私の目はフロアのカーペットに釘付け。
しかし、なるほど。
1階のカーペットは新調されており、カビの気配すら感じさせない。
ところが、いや、やはりというべきか。
2階へ続く階段にさしかかった途端、照明が暗くなりカーペットの状態が確認しづらくなった。
だが私の目はごまかせない。
同じ模様とはいえ明らかに古いこのカーペット、いたるところにカビが見受けられる。
廊下のコンセントというコンセントに刺さりまくる消臭剤が痛々しい。
(・・そう来るか)
そして部屋に入ると、かわいそうなほどあからさまな壁紙が飛び込んできた。
湿気のせいでブヨブヨになり、剥がれたクロスを無理やり引っ張って、強引に貼り付けた痕跡がそこにある。
(シロートが頑張ったんだろうな・・)
美大出身者が、
「当時いたなぁ、こうやって画用紙を破るヤツ」
とコメント。
デッサンなどで木製パネルに画用紙を貼り付ける際、水で濡らして紙を伸ばしてからパネルに押しつけることで、乾燥した紙が縮んでパネルに固定される。
下手な生徒は、画用紙を貼る途中で紙が波打っていることに気付き、
「ヤバい、今ならまだ間に合う!」
と、慌てて真っすぐに伸ばした結果、乾きかけた画用紙を破いてしまうのだそう。
紙が乾き始めるということは、紙が縮み始めるということ。
この部屋の壁紙について考察してみる。
湿気で剥がれた壁紙が、やがて乾いて縮む。
縮んだ状態の壁紙を慌てて糊付けしようと、無理に引っ張って破いてしまう。
さらに慌てて破れ目を合わせたところ、紙の面積が足りず壁がむき出しになってしまった。
あくまで予想だが、手に取るように想像できる。
そして最も疑問に感じるのは、部屋の窓ガラスも廊下のガラスもシングルガラスが入っていることだ。
ここは標高も高く外気と室内の温度差が激しい場所。
にもかかわらず、なぜペアガラスを入れないのか。
もう少し突っ込むと、客室に付帯する半露天風呂(後付け)はペアガラスで覆われている。
つまり、リノベーション業者は気づいていたのだ。
断熱効果を高めることで湿度を抑え、カビを防ぐ。
それを承知の上で予算の関係上、既存のシングルガラスはそのままに、新たに増設した半露天風呂だけはペアガラスを入れたのだ。
確信犯だろうーー
窓枠のゴムパッキンにしみ込むカビを見ながら、何とも切ない気持ち陥った。
客室の床はオシャレなブラックの人工畳が敷き詰められている。
リノベーション前は、もしかすると天然い草でカビがビッシリ生えていたのではなかろうか。
だが、床をフローリングにするには費用がかかりすぎる。
ならば人工素材の黒色の畳にすれば、仮にカビが生えても目立たないはず。
ーーといったところか
とにかく、目立たないところや薄暗いところのカビ対策は一切されていない。
これだけ湿度が高く内外温度差のある土地ならば、よほどの防カビ対策が必要だろう。
しかしそこまで金をかけられなかった、というのが正直なところではないかと予想する。
ーーリノベーションとはなんとも世知辛い商売だ
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