私のさらに上をいく人

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いよいよ一桁の気温が顔を出すようになった昨今、真冬とはいかないまでも、ある程度の防寒対策をしても目立たないくらいの季節となった。

かくいうわたしは、いずれ訪れる極寒に備えて徐々に体を慣らしているところ。いかんせん他人よりも寒がりであるため、この時期から完全なる冬支度をしてしまっては、来たる真冬を乗り越えることがでできない。よって、多少の寒さは堪えつつウォームアップの逆のトレーニングを行っているわけだ。

 

ところが、日中の最高気温が13度の曇天となると、さすがに冬用のジャケットを羽織りたくなるもの。

薄手のダウン辺りがちょうどいいだろうか——だが、我が家に冬物のアウターは存在しない。なぜなら、クリーニングに出したまま回収していないからだ。

 

毎年この繰り返しではあるが、今年もそろそろ取りに行かなければならない頃合いとなったため、ガサゴソと伝票を探し出すと近所のクリーニング店に向かって歩き出した。

(3月27日に出したのか・・)

伝票に記載された日付に目をやりながら、季節の移り変わりの早さをしみじみと感じるわたし——いや、そこではない。8ケ月もの間、まるで当たり前のようにシレっと過ごしてきた、己の非常識さと面の皮の厚さに猛省するべきである。

 

通常のクリーニング店ならば、衣服を預かってから一か月以内に取りに行くのが当たり前であり、それ以上放置しておくと捨てられる可能性も。

そりゃそうだ。店側としても、限られたスペースで大量の衣服をクリーニングするわけで、長期間それらを預かることなど想定していない。ましてや、近所のクリーニング店は個人経営の小さな店のため、入り口に足を踏み入れた時点で大量の衣服がお出迎えしてくれるほどの狭さ。

そんなところへ、およそ10点の冬物を押し付けておくなど、卑劣極まりない行為である。

 

ちなみに、行きつけのクリーニング店ではやっていないが、中には衣服の保管まで請け負ってくれる店舗もある。とはいえ、当然ながら有料かつ一点につき三千円程度の保管料が発生するため、気楽に預ける・・というわけにもいかない。

かといって都内の狭いマンションで暮らす者としては、かさばる冬物を保管するスペースが乏しいので、できれば次のシーズンまで預かってもらえると助かるのも事実。

そう・・都会で暮らすということは、細かいことも含めて様々な困難を乗り越える必要があるのだ。

 

などと脳内で堂々巡りをしながら、いよいよクリーニング店へ到着した。やや気まずい心境ではあるが、かといって衣服を回収しないことには罪悪感が消えることもないわけで、ならば一秒でも早く実行するのが誠意というもの。

「こんにちはー」

いつも通りの明るい声で——無論、努めてそうしたわけだが、奥にいるであろう店主に向かって声をかけた。すると、しばらく間をおいて店主が現れた。じつに8ケ月ぶりの再会である。

 

「あぁ、今年も来たね」

そう言いながら優しい笑みを浮かべる店主は、毎回衣服を預けっぱなしにするわたしに対して、怒っているというよりはむしろ「言っても無駄だから」という、あきらめを帯びた呆れ顔に見えた。

このままでは信頼を損ねる・・と思ったわたしは、開口一番謝罪を述べた。とりあえず謝るのが先だ、まずはこの怠惰を詫びてから衣服を受け取ろう——。

 

すると、一瞬の沈黙を挟んだ後に店主が驚きの発言を口にしたのだ。我々の付き合いもなんだかんだで十年を超えたが、この返しは初めて——そんな驚愕の発言とは、

「ごめん、まだできてないんだ」

という、まさかの事実だった。

 

3月末に預けた衣服が、11月中旬になってもまだ手つかずの状態だと?! そんなバカな話があるだろうか・・いや、あったのだ。

もちろん、これは相手が「わたしだから」成せる技であるのは間違いない。わたしと店主との強固な信頼関係があるからこそ、店主も安心して衣服を放置できたのだ。

そして「いつがいい?」と屈託のない笑顔で問いかける店主に対して、「うーん、いつでもいい」と答えるわたし。それを受けて彼は「こっちもいつでもいいけど・・じゃあ、金曜日とか?」と、二日後に手渡す約束をしてくれた——ふ、二日でできるのか。

 

こうしてわたしは、寒さに背中を丸めながら手ぶらで帰宅したのであった。

 

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