野生児が現代に馴染もうとすると、こうなる

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皮膚科医の友人からしつこく「肌が乾燥しているから保湿をしろ!」と言われ続けたわたしは、遂にフェイスクリームを購入することとなった。

そもそも乾燥肌であるわたしは、冬場はとくに極度のカサカサに悩まされてきた。笑顔を作れば唇から血が流れ、カギを差し込めば火花が散り——そんな、サバイバルを強いられる恐るべきシーズンが冬なのである。

 

にもかかわらず、肌に保湿成分を塗布することなく生きてきたわたし。化粧水、乳液、クリーム、日焼け止め、ファンデーションなどなど、女性にとって必須といえる”化粧品”というものを、なに一つ塗ることなく過ごしてきた。

その理由とは?——面倒くさいからだ。

 

そもそも化粧品というのは、毎日使わなければならないのでカネがかかる。しかも、保湿成分を肌の内側へ浸透させるには、皮膚表面にあるバリア(元来、人間に備わっている天然の油分)を破壊して、そこから有効成分を染みこませるので、肌にとっていいことではない。

皮膚のバリアを破壊→保湿成分を皮膚内部へ送り込む→肌が潤う→それを逃がさないように乳液やクリームでフタをする→しばらくは潤いが持続する→皮膚表面のバリアが破壊されているため、いずれ乾燥する→再び保湿成分を塗る・・・この悪循環ともいえる負の連鎖が、厚労省が認める基礎化粧品(スキンケア)の本質である。

 

ではなぜ、スキンケアが当たり前のように支持されているのかというと——大きな声では言えないが、カネになるからだ。

医薬品や化粧品業界というのは、世界において巨大なマーケットを持っている。しかも「毎日ケアする」というところがポイントであり、ヒトは自身の健康や美容のためならば惜しむことなくカネを出す習性があることから、これらの業界を敵に回すことはできない。

そんなわけで、正しいか正しくないかの議論をすれば結果は一目瞭然だが、そんな発言をしようものならこの世から抹消されてしまうので、専門家を含めて誰も口にしないのである。

 

・・おっと、話が反れたので戻そう。このような事情から、自らが持つ保湿能力に頼って生きてきたわたしだが、あまりにカサカサが酷いときはワセリンを塗ることで乾燥を防いできた。

だが皮膚科医の友人は、そんなわたしの杜撰なスキンケアに対して「もっと肌を大切にしろ!」と、会うたびに説教を繰り返した。とはいえ、こちらにもこちらなりの考えがあることと、乾燥というより柔術の練習でアゴの皮がむけていることから、大いに反発してきたわけだ。

しかしながら、もうそろそろ観念するしかないか・・というくらいに追い込まれたわたしは、友人の顔を立てる意味でも彼女が勧めるフェイスクリームを購入することにした。

 

ちなみに、このクリームを拒んできた最大の要因は、”値段が高すぎるから”だった。およそ手のひらサイズの、小さな容器に入ったクリームが2万円弱もするなんて、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えない。

とはいえ、アメリカで作られたその立派なクリームは、「医療機関専売化粧品」ということで、プレミアム価格がついているのかもしれない。とにもかくにも、まずはその高級フェイスクリームとやらを使ってみるしかないので、「せめて夜だけでも!」と念を押されたわたしは、言われたとおり寝る前にペタペタと塗ってみたのである。

 

 

(・・・痒い)

数日後、頬から顎にかけて無性に痒くなったわたしは、鏡を覗いて驚いた。なんと、頬が真っ赤に染まっているではないか! おまけに細かい湿疹も見受けられるなど、肌になんらかの異変が起きていた。

そして、考えられる原因といえば——やはりあのクリームだろう。肌トラブルとなる特殊な成分が入っているとは思えないが、少なくともわたしの肌には合わなかったのだ。

(要するに、野生児は自然のままが一番なのだ)

 

両手で顔面を掻きむしるわたしは、「オンナを磨く」ということの難しさを痛感しつつ、世の女性陣の苦労と努力に畏怖の念を抱くのであった。

 

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