おごられる者の流儀

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年を取って気づくことは多いが、なかでも過去の自分に言って聞かせたい反省点の一つに、"おごられることへの感謝は十分であったか?"という自問自答がある。若いから、女子だから、おごられて当然——そう思っていた時期は、なかっただろうか。

若さや性別は関係ないが、年上や羽振りのいい者と食事をしたらおごってもらうのが普通だし、向こうもカネを出したがっているのだからwin-winだろう——。そう考えるのは間違いではない。中には、若者にメシを食べさせるのが趣味なオジサンもいるし、それを否定するわけではないからだ。

 

だが、この年になって考えるのは、「信頼関係や友情が、そこにはあったのだろうか」という疑問である。もちろん、楽しく会話もしていたし、カネ目当てでの食事だったとは思っていない。だが、心のどこかで「あの人がくれば財布を開かずに済む」と思わなかったかと問われれば、正直なところ「思っていた」わけで。

 

 

仲の良い友人で、飲食のたびに率先して会計を引き受けてくれるオトコがいる。もちろん、貧乏ではないからこそ財布を開くのだが、そんな彼に対して「カネを出してくれるのが当たり前」などと思ったことは一度もない。

とはいえ、感謝の気持ちを示そうにもこちらは常に財政難であり、金品という手段は選択肢として難しい。そのため、わたしで役に立つことがあれば、率先して引き受けようと決めている。

たとえば、英語が苦手な友人の代わりに海外へ送るメールを作ってあげたり、筆記試験にアレルギー反応を示す友人をなだめつつ練習問題を解かせたりと、文字にすると大したことではないが、当の本人にとっては"ものすごく困難な行為"をサポートすることで、自分なりの感謝を表してきたつもりなのだ。

 

だが考えてみると「いつもカネを出してもらっているから、そのお礼に手伝いをしているのか」と問われれば、当たり前だが「ノー」である。ではなぜそういったフォローをするのかといえば、それはただ単に"友達だから"だろう。

これをしてあげたから、おごってもらえるはず——という銭ゲバ思想ではなく、友人が困っていたら助ける・・というシンプルな行動原理によるものなので、そうなると「おごってもらったことへの感謝の示し方」としては"適切ではない"ともいえる。

逆に、友人としては「おごったから何かしてほしい・・とか、考えたことは一度もない」というマインドであり、そうなるとただただ「ごちそうさまでした」と、笑顔で礼を述べることが最高の感謝となるわけで、どうも釣り合っていない気がするのである。

 

しかし、おごるという行為において重要なのは、おごる側が「おごってあげたい」と思っているかどうかだ。「あの人はカネがあるから、いくらでも払ってくれる」と思っている若者や貧乏人らよ、貴様らは果たして"おごられるに値するニンゲン"なのかどうか、胸に手を当てて考えてみてほしい。

ちなみに、わたしが誰かにおごる時にはそれなりの理由がある。基本的にケチなわたしは、他人におごることは滅多にないが、それでも満を持して伝票をかっさらう時には、どうしても支払いをしたい理由がそこにはある。

もちろん、相手の誕生日や昇進などの祝い事であれば当然だが、そうでなくとも「なんらかの感謝の気持ち」を示したい場合に、会計を持つことができれば多少なりとも表現できるわけで、そんな「言葉だけでは足りない感謝」が食事をおごる行為に繋がるのだ。

 

「カネを出すのは構わないけど、それが目的で食事に誘われるっていうのは、正直気分よくないけどね」

——そう笑いながら話す友人。自分が金づるであることを理解した上で、それでも知らないフリをして乗ってあげているのだ。

冒頭でも述べた通り「本人が出したいのならば、好きにさせればいいじゃないか」論でいくと、他人であるわたしがしゃしゃり出る幕ではない。だが、自分の友人がそういう扱いをされていることに、他人事とはいえ腹が立つではないか。

無論、その相手は「金づるだなんて思っていない!」と反論するだろう。しかし、おごってくれる側がそう感じてしまったのならば、それはもう事実なのだ。面白半分で口にした「自分で払わない食事の味は格別」とか「〇〇さんがいると満腹になれるからラッキー」というような、何気ない一言が誤解を生む恐れもあるし、少なくともそれ以上の感謝や信頼関係がなければ、その言葉にはやはりトゲがあるわけで。

 

自分のことしか見えていない者は、得てして調子に乗りやすい。そして調子に乗って口を滑らせた結果、手痛いしっぺ返しを食うのである。殊にカネに関しては、自らが思う以上に思慮深い発言や態度が求められる。

金持ちだからいくらカネを使わせても問題ない・・ではない。ある意味"使い走り"として扱われることに、嫌悪感を抱かない人間は少ないわけで、おごってもらったら感謝の言葉に加えて、それが当たり前だと思わないことが重要なのだ。

 

あとは、何より"おごられる前提で食事に行かないこと"だ。メシを食うカネがないのならば、大人しくナッツでも齧っていればいい。自分の力でどうにもならないことを他人に押し付けるのは、あまりに幼稚で腹黒いやり方といえる。そんな誤解を招かないためにも、"おごられることが当たり前"という精神は捨てるべきである。

 

 

——などということを、おむすびとケーキを買い与えてもらったわたしは思うのである。

 

llustrated by おおとりのぞみ

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