誰かの言葉が刺さるタイミングというのは、自分自身がそれを欲している時である。ただただボケっとヒントを待っていたのでは、天啓が下ったところでそれが「天啓」だとは気づかずに通り過ぎるだろう。
さらに、誰の言葉であるのかも重要である。少なくとも自分が尊敬している相手、もしくは、なんらかの言葉を引き出したいと思う相手でなければ、やはり同じ言葉を投げられたところで気づかずに通り過ぎるだろう。
そういう意味では、"言葉が刺さるタイミング"というのは偶然であり必然なのだ。
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(まぁ、ものは試しだ・・・)
どうしても弾くことのできないパッセージがあるわたしは、動画によるワンポイントレッスンを申し込んでみた。
あと二か月で弾けるようにならなければ、わたしの人生は終わりである。大勢の友人らに「ピアノの発表会、聞きに来てね!」と声をかけているにもかかわらず、肝心の演奏でコケたのでは合わせる顔が無い。
こうなったら、どんな手段を使おうが絶対に弾けるようにならなければならない——。
ストレスとプレッシャーにより、毎日が"戦場の兵士"のようなわたしは、苦し紛れにワンポイントレッスンに課金した。・・どうせダメ元だ。解決策が得られなくても、多少の気休めになれば御の字である。
その程度の軽い気持ちで、それでも願わくば解決できることを期待しつつ、自分の演奏動画を先生に送信したのである。
——数日後、いよいよアドバイスの詰まった動画のリンクが送られてきた。
作業中だったわたしは、とりあえず片手間で動画を視聴し始めたが、一分後には作業を中断して食い入るように動画にかじりついた。
そもそもピアノは西洋で誕生した楽器であり、作曲者の多くは西洋人である。しかし楽譜は誰もが読める形に統一されており、音楽理論や奏法も世界中で共有されている。
だからこそ、年齢や国籍を問わずだれもがピアノ演奏できるわけで、そのことに関して異論の余地はない。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。外国人が経営する日本料理店で、日本人の舌を唸らせるような料理とはなかなか出会えない。寿司であれラーメンであれ、やはり日本人の作る料理というのは、レシピだけでは再現できない独特な風味があるのだ。
これと同じで、西洋生まれの楽器と作曲家は、その国ならではの生活習慣によって成り立っている・・と考えると、まずはその違いを理解する必要がある。
——などと言われても、ほとんどの人はピンとこないだろう。
それでも、小さい頃からの生活環境や文化・風習の違いというのは、自ずと様々な部分に影響を及ぼすものなのだ。
たとえば歩き方一つとっても、日本人は静かに歩く民族である。日本舞踊や盆踊りを思い浮かべれば顕著だが、足音を立てずに舞うことを我々は習わずとも知っている。
だが西洋の踊りには靴音を立てるものが多い。バレエやジャズダンスは別だが、タップダンスやフラメンコ、コサックダンス、アイリッシュダンスなどなど、靴音でリズムをとりながら踊るダンスが、世界各地に存在する。
この違いだけでも、同じ「歩く」という動作に差が出ることは想像に難くない。そろりそろりが染みついている日本人と、カツカツと靴音を鳴らして歩くことが当たり前の西洋人とで、同じ歩き方になるはずがないのだから。
——このような文化や生活習慣の違いこそが、ピアノ演奏に影響を及ぼす・・と先生は言う。
そして、ピアノに限らずどんなスポーツにおいても「脱力」は必須だが、力の抜き方が分からない者にとっては、むやみやたらに脱力したところで、肝心の動作に支障が出てしまうのだ。
つまり、脱力の仕方を知らなければ、力を抜くことはできないのである。
さらに最も厄介なのは、自分自身は脱力しているつもりが、結果的に脱力できていないケースが多いということだ。
例えば、パソコンのキーボードをカタカタと軽やかに叩いているとして、それが果たして脱力した状態でのタイピングなのか、無意識のうちに指の力を使って速打ちしているのか、本人にはよく分からないもの。
「ぜんぜん力なんて入れてないから、脱力してるよ」
そう思っていたとしても、本当に脱力した状態・・つまり、指をだらんとさせた状態でキーボードを押したときの感覚で、タイピングできている人は少ないだろう。
要するに、体を脱力させた状態というのを自分自身で知ることが、脱力への第一歩なのだ。その状態を保ったまま、動作を流し込むことができれば、それこそが「脱力した状態」なのである。
・・というようなことが、先生からのアドバイス動画で説明されていた。
今回のワンポイントレッスンは、対価を支払うに値する・・いや、それ以上の価値のある内容だった。
これは「今だからこそ」そう感じたのかもしれない。たとえば先月ならば、まだ理解できなかったかもしれないわけで、生徒であるわたしの欲するレベルや状態と、先生からのアドバイスがドンピシャに重なった結果であり、タイミングという偶然のような必然に感謝した。
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目先の動きや頭でっかちな理屈に囚われていると、いつまでたっても泥沼から抜け出せない。
郷土料理しかり外国語しかり、その国でしか感じることのできないニュアンスは、その国の人間あるいはその国で学んだ者から伝授してもらうのが、圧倒的に上達の近道といえる。
そしてわたしのピアノ奏法は、道を歩いたり椅子に座ったり、イメージを縦にしたり遠くに置いたりすることで、一瞬にして改善された。これはウソのような本当の話である。
どんな動作でもテクニックは重要だが、そもそものコンセプトやイメージが描けていないと、そのテクニックは無駄になる。
まずは自分自身で正しいマインドセットを確立すること・・これこそが成長への第一歩なのだと、改めて実感したのである。
(・・よし、これで今日のレッスンが楽しみになった!)
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