ニンゲンに気を遣う、カピバラの実力

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わたしは動物の中でも、カピバラが好きである。和名を「鬼天竺鼠(オニテンジクネズミ)」といい、読んで字のごとくオニのようにデカいテンジクネズミ(モルモット)なのだ。

個人的な感想ではあるが、動物というのは体格が大きければ大きいほど、人間に近い感覚を持っているように感じる。たとえば馬やゾウが、人間の気持ちに寄りそうような素振りを見せるのがその一例だ。

とはいえ、人間サイドの勝手な思い込みではあるが、食べ物を持ってきた時だけ懐かれるよりも、寂しさを感じる時にそっと近くに佇んでくれるだけで、「あぁ、おまえにはわたしの気持ちが分かるのかい?」と、ちょっと救われた気持ちになるから不思議である。

 

そんなわけで、小さなモルモットでは人間の気持ちに寄りそうことはできないだろうが、オニのように大きなモルモットならば、人間を手玉に取ることが可能だということを、見事に証明してくれたカピバラがいる。その名もピース(オス/9歳)だ。

ピースは、大宮公園小動物園にいるカピバラ三兄弟の兄である。つい先日、寝食を共にしてきた妹・ラメールがこの世を去ったため、今は一人で広い展示場をウロウロしている。金網越しに、隔離飼育中である末の妹・チェリーと会話をすることもあるが、基本的には一人マイペースでのんびりと過ごしている様子。

 

生まれてこのかた、ラメールとずっと一緒に暮らしてきたピースにとって、その相棒が突然いなくなった喪失感というのはいかほどのものなのだろうか。人間とは違うので「寂しい」とか「悲しい」という気持ちは発生しないのかもしれないが、それでも「いつもいたアイツが、今日はどこにもいない」というような感覚は持っているのだろう。

彼らを見守るファンに、一人になったピースの様子を聞くと、

「やっぱり、ラメールを探すような素振りを見せることがありますね。どこかに隠れているんじゃないかと、あちこち探し回ったり・・」

と、9年半の共同生活がプッツリと途切れてしまった違和感を、彼自身も強く覚えているようだった。

 

そんなピースを元気づけてやろうと、わたしは飼育場の金網にへばりついて、ピースの名を呼んでみた。・・だがいつものごとく無視された。

(いや、あきらめないぞ!)

東屋の中で干し草をモグモグしながらのんびり寝転ぶピースを横目に、ひとまず、カピバラ舎内で過ごすチェリーの様子をうかがうことにした。

チェリーはとくに変わった様子もなく、舎内をのそのそと散歩していた。——とりあえず、平和な二頭でよかった。

 

それからピースの元へ戻ると、来場者の男性に金網の隙間から背中を撫でもらっている最中だった。わたしも撫でたかったが、あの男性とピースのコミュニケーションを邪魔するのはマナー違反である。

しばらくすると、ピースはその場を離れて敷地内の池をぐるっと一周し始めた。いつもなら、ラメールの後を追いかけながら回る池だが、これからは一人で歩かなければならない。そんなピースを眺めていると、われわれ人間が集まる場所に向かって、ピースは歩を進めはじめた。

しかし、わたしの手前には先ほどの男性が陣取っているため、きっとあそこでナデナデされればピースの足は止まるだろう。まぁ、閉園時間までに一度でも触れられればいいか——。

 

そんなことを考えながらも、ホームランボールを狙う少年のように金網にしがみつき、ピースに熱い視線を送るわたし。案の定、男性の前で歩みを止めたピースは横っ腹を撫でられていた。・・と、その瞬間——ピースは無表情のまま、その場から立ち去ったのだ。そしてカメラを構えるわたしの元へ、真っすぐ脇目も振らずにノッシノッシと近づいてくるではないか!

——あぁ、ピースには人間の違いがわかるんだ。

 

これは間違いなく、彼なりのファンサービスなのだろう。あの男性とは先ほどすでに交流を済ませているため、まだ俺を触っていないコイツに撫でさせてやろう・・ということなのだ。

年に数回しか訪れないわたしのことなど、ピースが認識しているはずもない。それでも、今日ここにいる人間の中で、ピースがするべき役割を果たせていない相手を見極めることはできるのだ。

 

キュルルルル・・と鼻を鳴らしながらピースがやってきた。そして金網越しに立ち止まると、視線を後ろへ送りながら「さぁ、俺を撫でろよ」と言わんばかりの表情をみせた。

わたしは左手でスマホを構えながら、右手でピースの肩や首、背中、腹をガシガシとさすった。中でも見事だったのは、肩甲骨がきちんと立っていることだった。四本足で地面を蹴る姿勢なのだから、立甲(りっこう)して当然ではあるが、それでもしっかりと隆起した肩甲骨の形と硬さは、人間でいうところのアスリート並の美しさと立体感が感じられた。これこそが野生の醍醐味——。

 

こうしてわたしは、しばしピースとの交流を楽しんだ。わたしに摩られてユラユラと揺れるピースの表情は、気持ちよさそうにも見えるし、営業スマイル的な要素を含んでいるようにも見えた。

そして数分後、「もうそろそろ、いいっしょ?」とピースが目配せをしてきたので、わたしの持ち時間は終了となった。

 

ピースはカピバラだが、自分に与えられた任務を理解している。そして、マイペースで好き勝手に生きているように見えて、じつは人間の判別もできるのだ。さらには、よく来てくれる人の顔も覚えている。だからこそ、わたしなんぞが呼んだところで見向きもしないのだ。

その上で、わざわざ会いに来てくれた人間をガッカリさせぬよう、一人一人に挨拶をする姿は、まさに人間の気持ちを理解しているとしか思えない。なんせ、気持ちがいいから撫でられるのではなく、われわれ人間が喜ぶから、撫でさせてやっているわけで——。

 

 

ピースとチェリーは9歳5か月を迎えた。カピバラの中ではしっかりと生きているほうではあるが、まだまだ元気な姿を拝むことはできる。だがラメールが逝ってしまったように、彼らがいつこの世を去ってもおかしくはない年齢であるのも事実。

そしてラメールがそうであったように、死の直前まで葉っぱを食べて"今日を生き抜こう"とする、たくましき野生の血が流れるカピバラ。そんな彼らに少しでも長生きをしてもらい、たくさんの元気と幸せを共有したいものである。

 

ピースは8歳のとき、トロ舟(バスタブ兼トイレとなる、大きなトレー)に落とした"歯磨き石"を拾えるようになった。同じくラメールも、8歳にして一人で入浴ができるようになった。

では9歳の今年、そして10歳を迎える来年には、彼らはどんな成長を見せてくれるのだろうか。そんなピースとチェリーの進化を拝める日が、わたしの密かな楽しみなのである。

 

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