わたしの足は限界を迎えていた。まるで悪霊に憑りつかれたかのように、いや、片足20キロの足枷(あしかせ)をはめられたかのように、一歩を出すのが困難になっていた。
理由は分からない。ただ、どちらかというと足の裏が浮腫んでいるような感覚であり、見た目では分からないが足関節より先がまんじゅうのように膨らんでいる気がしていた。無論、そのような症状は目視では確認できないのだが。
(これは、足つぼマッサージへ行くしかない・・)
身体の硬いわたしは、足の裏を押したり揉んだりすることが苦手である。決して「足の裏に手が届かない」というわけではないが、人体の構造上ここは他人に委ねるのが正解だろう。
というわけで、「足裏の快楽」を求めて赤坂を徘徊することにしたわけだ。
*
昼飯を食べ終えると、目の前にある足つぼマッサージ店を覗いてみた。すると、わりとイケメンの中国人スタッフが現れた。
「今からだと一時間待ちデスネ」
さすがに一時間は待ちきれない。わたしの足は今にも爆発しそうなくらいに疲れているのだから。
やむなく、近所にある別の店へと向かった。日頃からスタッフがビラ配りをしているので、きっといつでも空いているのだと思ったら、
「予約してマスカ?」
と、入店と同時に小声で尋ねられた。ふらっと立ち寄っただけのわたしは、小さく首を横に振る。
「じゃあ、無理デスネ」
そう答えると、すぐさま客の足へと視線を落とす女性スタッフ。
(いったい何なんだ?日曜日の赤坂の足つぼマッサージは、なぜこんなにも大盛況なんだ——)
こうなったらエリアを変えるしかない。そもそも赤坂は、日曜定休の店が多いのだ。これは足つぼマッサージに限らず、飲食関係も閉まっている店舗が多いわけで、あえて少ないパイを土俵に選ぶ必要などないからだ。
こうしてわたしは、日曜日も眠らない街・六本木へと移動したのである。
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六本木交差点目の前のビルに、デカデカと「全身ほぐし」の文字を見つけた。さっそくその店をネットで検索したところ、予想以上に高評価ではないか!
メロンパンのように浮腫んだ(実際には浮腫んでいないが、そう感じるほど不快であることは間違いない)足を引きずりながら、わたしは憩いとやすらぎを求めてビルのエレベーターに乗り込んだ。そして、フロアのボタンを押そうとしたその瞬間、
「定休日・日曜」
呪いの文字が目に入ったのである。
都内でも有数の繁華街である、眠らない街・六本木。にもかかわらず、日曜日は眠ってしまうのか——。
さっきからずっと門前払いを食らい続けるわたしは、足の裏の疲労とともに精神的にも限界を感じ始めていた。もうどこでもいいから、この足を解放させてくれ——。
足つぼマッサージの店を血眼になって探すわたし。日頃からこういった施術を受ける傾向にはないため、店舗の見当もつかないストレスは予想以上に大きい。それでも、水を求めて砂漠をさまよう旅人のように、あるかないかも分からない足つぼマッサージ店を求めて、ふらふらと歩き続けた。
(知足常楽・・・)
その漢字四文字は、わたしにとっては「極楽浄土」にしか見えなかった。——助かった。ギリギリのところでわたしの足裏は、極楽へ導かれたのだ。
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実際のところ、左の足裏に違和感を覚えていた。さらに具体的にいうと、左足の中指と薬指のつけ根付近に、疲労に似た鈍痛を感じていたのだ。
そして今、かわいらしい女性スタッフの指圧を受けながら、わたしは一抹の不安に襲われた。
(これ、もしかして怪我してないか・・・?)
極度の疲労だと思い込んでいた不快感は、まさかの怪我の可能性を帯びてきた。なぜなら痛いのだ。明らかに、負傷している痛みなのだ。
とはいえ、ここは足つぼマッサージの店。足の裏が痛いから施術しないでください——などという、意味不明なリクエストを伝えることはできない。つまり、我慢するしかないのだ。
この店にたどり着くまでの時間や移動距離を考えると、ただ単に運が悪かったのではなく、神の思し召しだったではなかろうかと思えて仕方がない。
そう、神は足裏の負傷をご存知だったのだ。
・・というわけで、足つぼの痛みとは異なる激痛に耐えながら、呼吸を整え精神統一を続けるわたし。その先には、極楽浄土が待っているように思えたのである。
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