深夜0時を過ぎた頃、わたしのスマホが震え出した。——誰かからの着信だ。画面を見ると、顧問先の社長からだった。
「夜遅くにすんません、労働者の公休日についてなんですが・・・」
彼は、来月から初の労働者を雇用するとのことで、労働時間やら休日やらについて諸々の準備をしているところだった。そして店を閉めて帰宅して、食事や風呂を済ませたところで連絡をしてきたのだろう。
社労士としてのわたしの自慢は、「24時間いつでも対応できる」という一点のみである。ものすごく賢いわけでもなければめちゃくちゃ仕事ができるわけでもないので、せめて、クライアントが求める瞬間に返事くらいはしておこう・・というのが、わたしの仕事における信念なのだ。
そして、クライアントの多くが接客サービス業のため、彼ら彼女らの商売が終わってからでなければ、落ち着いて考えたり連絡したりすることはできない。
加えてラッキーなのは、ほぼ全員が友達のような関係性であることだ。年齢が近いというのもあるが、気の合う仲間が困っていたら助けるのは当然のことで、その延長で仕事をしているようなものだからだ。
睡眠時間の少ないわたしは早朝に就寝するため、国内のクライアントであればほぼ間違いなく時間的にカバーできる。そのため、これだけが唯一の自慢というか得意技といえるわけだ。
通話が終わりスマホをデスクに置いたところ、再びスマホが震え出した。画面を覗くと、今度は別の顧問先からのLINE通話だった。
「あの、夜分に申し訳ありません。ちょっとご相談がありまして・・・」
よくよく考えると、これは非常に面白い現象である。なぜなら、深夜1時に他人に電話をするなど、普通ではありえないからだ。むしろ、SNSでメッセージを送ることはあっても、一般的には寝ているであろう時間帯に、なんの躊躇もなく「通話」を選択するとは、大した度胸である。
「勤務初日に、私の指導が厳しくてパワハラだと言われました。それで『辞める』と言って、その方は早退されました」
あぁ、よくある話だ。パワハラというものの明確な定義はないため、自分にとっては端的で明確な指示であっても、相手が違えば言葉の暴力と捉えられてしまうこともある。そしてこれは、発信する側の問題だけではなく、受け手側のキャパシティやメンタル強度で左右されるもの。むしろ、相手次第で受け取り方が変わるから厄介である。
さらに厄介なのは、痴漢と同じで「言ったもの勝ち」になりやすいことだ。具体的に「身体的暴力をふるわれた」「罵詈雑言を浴びせられた」「机を叩いたり、椅子を蹴り倒したりして脅された」など、それはさすがにやりすぎだろう・・という行為が客観的に確認できればアウト。しかし、「言い方がキツイ」「目が笑ってない」などを理由にパワハラを主張されると、加害者とされる当事者も対処に困る。
しかも、被害者とされる労働者の言い分(いいぶん)を聞いていると、パワハラから話が逸れて「私には厳しく注意するくせに、自分だって全然できてない」「むしろあのヒトのほうがダメだと思う」などなど、なぜか先輩や上司をディスる方向へとズレていくから面白い。
こういうタイプは、自分自身の能力不足を棚に上げて、他人を攻撃することで身を守ろうとする「困ったちゃん」といえる。いや、「構ってちゃん」かもしれない。承認欲求の強さ、あるいはプライドの高さから、自分が否定されることが許せないため、その矛先を相手に転換することで窮地を脱するのだ。
こうなると、パワハラの本質が見えなくなるため、単なる「嫌がらせ」となりかねない。それでも「言ったもん勝ち」の側面があるため、仮に裁判で無罪となったとしても、そこまでに強いられる金銭的負担や精神的苦痛は計り知れない。
そして冤罪だった時、加害者とされた人物は、それこそ貴重な人生の一部を無意味に棒に振ったこととなり、被害者ぶった狂人に殺意すら覚えるだろう。加えて、被害者とされた人物が精神福祉手帳や療養手帳を所持していた場合、それこそ「障害(病気)を抱えているから仕方ないよ」となだめられて終わりである。
「だからどうするべきだ」という話ではなく、なんでもかんでも被害者(弱者)優先にするべきではない、という社会性を作り上げていく必要があると、個人的には思う。殊に日本人は、欧米人からの意見にめっぽう弱かったり、立場が上の人間からの指示を無条件に受け入れたりと、「常識的に考えれば」や「普通のことだが」といった判断そっちのけで、強きに媚びる傾向にある。その結果、「差別はよくない!」「弱者優先!」が極端なムーブメントとなり、なぜか無条件に「言ったもの勝ち」の文化が出来上がってしまたのだ。
——なんてことを考えながら、パワハラ加害者とされる女性従業員の話に耳を傾ける。
「弁護士に相談するし労基署へも相談に行く、と言っております。私、どうしたらいいのでしょうか・・・」
「え、それは行かせればいいんじゃない?白黒ハッキリつけようよ、パワハラしてないんでしょ?なら怯えることも卑下することもないじゃん」
「・・・そ、そうですよね、たしかに。私、パワハラだなんて言われるような指導、していません。そっか、堂々としていればいいんですね。なんか気持ちが軽くなりました!」
このことが気掛かりで、彼女は寝るに寝れなかったのかもしれない。そして「わたし」というより、「社労士」から太鼓判を押されたことで安心したのだろう。
・・それでいい、立ち止まるよりも進みながら解決するほうが、よっぽど建設的だし精神的にも健全を維持できるからだ。
こういうとき、わたしは「社労士」という肩書を持っていてよかったと思うのである。
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