私は今日、コーヒーに見放された。
珍しいこともあるもので、今日ほどホットコーヒーを渇望した日もないし、そんな日に限ってコーヒーは私の元から逃げていくのだから。
決して贅沢を望んだわけではない。ただただ、温かいコーヒーを啜りたかっただけ。安くてもいい、なんなら不味くてもいい。ブラックコーヒーであればなんでもよかったのだ。
ところが一日が始まり、ようやく熱々のドリップコーヒーを口にすることができたのは、なんと夕方の4時過ぎだった。
*
今日は所用で大阪へ行くことになっていた。JALかぶれの友人から、
「こんなお得なプランがあるよ!」
と押し付けられ、いや、教えてもらった「JALダイナミックパッケージ」という、往復航空券と宿泊がセットになったプランを使い、新幹線ではなく飛行機にて大阪へ向かうことにした。
都内から大阪を訪れるとなれば、新幹線が常套手段。2時間半で移動できるため、車内で仕事をするもよし、仮眠をとるもよし、少し長めの映画を一本観る感覚で快適に過ごせる。
今では各座席にコンセントが付いているため、安心してスマホやパソコンいじりに没頭できる。さらにフリーWi-Fiも利用できるため、気がつけばもう新大阪!となるわけだ。
加えて、我が家から品川駅は近いので、こんなにも快適な移動手段はないのである。
だが今回、金額の安さから飛行機を使うことにした私。新幹線を利用するときのように、適当な時間に品川駅へ行けばすぐに乗れる、というわけにはいかない。
搭乗時刻の20分前までに保安検査を通過しなければならなかったり、そこから逆算して家を出なければならなかったりと、飛行時間は一時間半もかからないが、自宅から目的地までを考えるとほぼ同じ移動時間となる。
とはいえたまには飛行機の旅も悪くないと、気持ちを入れ替えて羽田空港へと向かった。
・・・この時点で私はコーヒーが飲みたかった。しかし自宅の最寄り駅で買っても、混雑した電車内ではコーヒーを堪能することができない。さらにコーヒー臭をプンプンまき散らすとなると、今のご時世では肩身が狭い。
ということで、羽田空港に到着したらコーヒーを買おうと決心。よし、とっとと私を運んでくれ!
羽田空港国内線ターミナルに到着。まずは手荷物を預けて、保安検査を突破しなければならない。ついでに、Jクラスのキャンセル待ちをすることにした。たった千円でアップグレードできる戦いならば、参戦しない理由がないからだ。
素早く手続きを済ませると、さっそく搭乗ゲートへ向かう。あぁ、これでゆっくりとコーヒーを味わえる。ここにも、あっちにもコーヒーが売られている。選び放題だ!
とはいえ搭乗時刻まであと20分しかない。コーヒー一杯をゆっくりといただきながら、Jクラスへのアップグレードを待つことにした。
(なんかやけに遠いな・・・)
私の搭乗口は32番ゲート。だがその場所は、動く歩道を何本乗り継いでもまだ現れない。さらに途中でカフェや飲食店はいくつもあったが、もう少し搭乗ゲートの近くで買おうといずれもスルーした。
そのうち、空席待ちカウンターにたどり着いてしまった。あと5分でキャンセル状況が確定するため、ここで待つしかない。とはいえ私の順番待ちは3番目。ただでさえ満席といわれているのに、果たして3人もJクラスをキャンセルしてくれるのだろうか?
とその時、アナウンスが流れた。搭乗時刻が変更されたのだ。当初の予定時刻から10分遅れで搭乗開始とのこと。
(ダメだ、この時点でJクラスのキャンセルが一件もないならば、これ以上待ったところで同じだ!コーヒーを買いそびれてしまう)
焦った私は空席待ちカウンターを後にした。さらに32番ゲートというのはバスで搭乗機まで運ばれるゲートらしく、一般ゲートよりも辺鄙な場所、かつ、地上階にあることを知った。
(ここへ来る途中にあったカフェへ戻ってコーヒーを買おうか。いや、これで乗り遅れたら洒落にならない。とりあえず32番ゲートのフロアへ移動して、そこでコーヒーを買おう)
そして案の定、辺鄙なフロアにはカフェどころかコンビニも土産店も存在しなかった。
ならば機内のコーヒーに期待するしかない。高度一万メートルの上空ですするコーヒーはとにかく美味い。どこのブランドだとかは関係なく、雲の上で温かいコーヒーを手にしたときの幸福感というものは、筆舌に尽くしがたい。
おまけに無料でおかわりもできるわけで、ここで急いでコーヒーをがぶ飲みするより、余裕のあるハイクラスなビジネスパーソンになれる。
――そうだ、機内でコーヒーを飲もう!
大方の予想を裏切らない私は、離陸直後に意識を失った。そして目を覚ましたのは関西国際空港に着陸した衝撃だった。つまり、機内での優雅なコーヒーブレイクを逃したのだ。
――こうなったら、空港に降り立つと同時にカフェに突撃するしかない!
そして一時間が経過。私はまだ機内にいる。
何やら激しい雷雨の影響で、地上誘導員を配置できないのだそう。我々乗客は何もできず、ただじっと座って一時間を過ごした。
最後のほうでリンゴジュースのもてなしがあったが、私はコーヒーがよかった。とはいえ、断る理由もないのでリンゴジュースを受け取った。
・・・冷たくて美味しかった。
こうして飛行機を降りた私が、空港出口にちょこんと構えるドトールで、出来立てのホットコーヒーにありつくことができたのは夕方の4時。
コーヒーと出会うまでに、とてつもなく長い時間を費やした一日だった。
だが物語はここで終わらなかった。チェックインのためにホテルへ向かった私は、一階にタリーズがあるのを見逃さなかった。
(ドリップはさっき空港で満喫した。次はラテだ!)
こうして、グランデサイズのカフェラテを注文し、意気揚々と部屋へと向かった。
一般的に、コーヒーというとブラックコーヒーが想起される。だがカフェラテというのも決してオマケ的な存在ではない。コーヒーというジャンルに籍を置きながらも、まるで異なる価値観を提供してくれるからだ。
そんなカフェラテを部屋で一人、静かにすすろうではないか。
室内の小さなテーブルに、カフェラテが入った手提げ袋を置く。まずは手を洗おうと、ユニットバスのドアを開けた瞬間、
ドサッ!
背後で嫌な音がした。そういえば、ペットボトルの麦茶をカフェラテの手提げ袋に入れた記憶があるが、それ以上は考えたくない。
おそるおそる落下音の出どころに目をやると、案の定、床にカフェラテがぶちまけられていた。見事に一滴も残さず、きれいに流れ出ていた。その時私はつくづく実感した。
(今日はコーヒーから見放される日なのだ)
それはそうとして、とりあえず510円は返してもらいたい。
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